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富山城三ノ丸南外堀から出土した売薬行商鑑札について
 

 
平成26年度に行った総曲輪レガートスクエア整備に伴う発掘調査で、富山城三ノ丸南外堀から売薬行商鑑札が出土しました。
 
売薬行商鑑札とは

売薬行商鑑札(紙製、明治22年発行) 富山市売薬資料館蔵
売薬行商鑑札とは明治10(1877)年1月に明治政府が布告した「売薬規則」で定められた、行商人(薬を売り歩く人)に対して行商する地域の役所が発行した許可証のことです。
行商時に所持が義務付けられ、5年ごとの更新手続きが必要でした。また、廃業時には返納が義務付けられ、遺失・毀失した場合には再発行の手続きが必要でした。
 
出土した売薬行商鑑札

出土した売薬行商鑑札(左:表面、右:裏面)
出土した売薬行商鑑札は縦10.65cm、横7.6cm、厚さ0.8cmであり、材質はヒノキです。明治10年3月に石川県令から布達された売薬営業に関する手続等の中で「売薬行商鑑札雛形」に、「竪(縦)三寸五分(約10.6cm)」・「横貮寸五分(約7.57cm)」・「厚三分(約0.9cm)」・「用材檜」と記されており〔高岡高等商業学校 1935〕、今回の売薬行商鑑札の規格・材質とほぼ合致します。
表面には墨書、裏面には墨書と焼印がみられます。
 
出土鑑札に記されている文字

出土した売薬行商鑑札(表面)
出土鑑札の表面には、文字が8行記されています。右から1行目の「賣薬行商許可之證」および8行目の「右行商聞届候事」が売薬行商鑑札であることを示しています。2〜5行目は、この売薬行商鑑札を受けた「小瘰エ藏」について記されています。ここから、小瘤≠ェ富山県在住の平民であり、売薬営業者「中川雅由」の後見人「中川雅清」の売子であることがわかります。また、6〜7行目は小瘤≠ェ取り扱うことのできた薬の名称が9種類記されています。6行目上方の「むしおさへ 蒼龍丸」、「はら薬 如神丸」は、薬の名称の横に添え書きがみられ、薬の効能を伺うことができます。また、7行目中ほどの「疝気一貼湯」は、「疝気」が下腹部の痛みの総称であることから、腹痛に効能がある振り出し薬の可能性があります。

出土した売薬行商鑑札(裏面)
出土鑑札の裏面には文字が2行記され、中央に焼印が捺してあります。右端の「明治十六年十月廿三日」は鑑札の発行年月日であり、左端の号数は発行鑑札の通し番号であると思われます。中央には「上新川郡役所印」の焼印があり、上新川郡役所から発行されたことを示しています。
 
出土鑑札に関する簡易年表
西暦 月日 できごと
明治10 1877  1月20日 売薬規則布告
明治11 1878 12月17日 石川県新川郡が上・下2郡に分割
上新川郡役所を旧富山城本丸御殿に設置
明治16 1883 5月9日 富山県が置県
上新川郡は富山県の管轄となる 
     8月 上新川郡役所が山王町に移転
    10月23日 上新川郡役所が小瘰エ藏氏に売薬行商鑑札を発行
 
出土した売薬行商鑑札からわかること
出土した売薬行商鑑札は、明治16年の富山県置県後に発行された売薬行商鑑札として最も古く、木製としては初めて確認した鑑札です。富山県の売薬の歴史を知るうえで貴重な資料です。
出土鑑札に記される人物のうち、売子である「小瘰エ藏」について、詳しいことはわかりません。売薬営業者である「中川雅由」は、明治19年の売薬税50円以上の営業者の一覧表にその名をみることができ、住所は「富山旅篭町」となっています〔富山県 1983〕。明治9年発行の古地図『新川縣下第十大区二小区新川郡富山旅篭町』(富山市立図書館蔵)を見ると、旅篭町に「中川治平」の名を確認できます。「中川治平」と「中川雅由」・「中川雅清」には、何らかの関係性があると考えられます。
(宮田)
 
 
引用・参考文献
高岡高等商業学校編 1935『富山売薬業史史料集』上巻 高岡高等商業学校
富山県 1987 『富山県薬業史』通史 富山県
富山県 1983 『富山県薬業史』資料集成 富山県
財団法人富山県文化振興財団富山県民会館 1998 『富山の売薬文化と薬種商』 財団法人富山県文化振興財団富山県民会館
富山大百科事典編集事務局 1994 『富山大百科事典』上巻 北日本新聞社
JACAR(アジア歴史資料センター) Rep.C04017594400. 明治10年「太政官布告従1月至12月」 防衛省防衛研究所


 
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