一方、石川県金沢市の前田氏(長種系)屋敷跡から「金沢病院」と書かれた徳利瓶が1点出土しました(口径2.2cm、底径6.1cm、高さ18cm)。当屋敷地東側には、津田玄蕃邸があり、明治3年に開設された金沢藩医学館を前身とする金沢病院(同5年)がありました。同8年に石川県金沢病院として経営が県に移管した後、同38年に中石引町に移転新築するまで、当地にあったとされる(石川県教育委員会ほか2002)ことから、この金沢病院にて何らかの用途で使用されていたとみられます。 |
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さらに、福井県坂井市の三国焼札場窯から出土した陶片にイッチン掛けによる「福井病院」銘の薬瓶とされる陶器片があります(龍翔館1987)。札場窯は明和5(1768)年に開窯し、明治29(1896)年に廃窯となっています。福井病院は、石川県富山病院と同時期に石川県福井病院として開設され、その分病院が坂井港に設置されていました。 |
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富山、石川、福井の病院銘入り陶器瓶はいずれも19世紀後半の明治前期に生産・使用されていたと推測されます。福井の例は小瓶(目薬サイズヵ)ですが富山・石川の例は徳利サイズです。江戸期の通い徳利のような使用方法も考えられますが、長谷川病院福光分病院における療法や時代背景からも伝染病対策用の消毒用の生理食塩水やアルコール容器、薬瓶などの医療用品としての用途を推測しておきたいと思います。 |
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富山市民病院の開設と病院用食器について |
明治40(1907)年に富山市立病院が日本赤十字社富山支部病院になって以降、当地には明治43年に県立薬学専門校が新築竣工し、大正13(1924)年には富山警察署が薬学専門学校跡に移転、昭和15(1940)年には富山警察署跡に富山市工業指導所を設けるといった変遷をたどります。明治40年以降は市立の総合病院は存在しませんでした。 |
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昭和20年8月の富山大空襲によって富山市内の公私立の医療施設は壊滅します。同年9月14日に富山市議会が開かれ、富山市民病院建設費の予算が提出、全会一致で可決されました。更に11月16日、市民病院の設置が富山市参事会に附議され、可決されました。 |
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『富山市民病院史』によると、昭和21年1月30日に第1病棟が竣工し、2月5日に富山市民病院仮開院式並びに病棟竣工式を挙げ、2月12日から診療を開始しました。病院開設許可申請書を富山県知事に提出し、12月1日富山県指令第2047号で許可されました。 |
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また、入院患者及び付添人の便宜上、食堂設置の要望があり、総曲輪の宮本力雄が経営することになりました(富山市立富山市民病院1987)。同病院史の診療棟、病棟見取図には北側の第一病棟と南側の第二病棟にそれぞれ「炊事場」の表記が見えます。今回の調査で市民病院銘の食器が出土した土坑は、第二病棟の炊事場に近接しているとみられ、ここで使用されていたものが廃棄されたと推測することができます。 |
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以上のことから、SK5、SK9で出土した富山市民病院銘の陶磁器は、昭和20年11月に富山市立富山市民病院の名称が定まった以降に製作されたことが分かります。その一方、右横書きで「院病民市山富」と書かれた丼や丼蓋などには、口縁部に二重圏線を有する厚手の食器、国民食器が用いられます。この食器は、工場や病院、軍隊施設などにおいて給食用の食器として生産され用いられました(瑞浪市2012)。終戦直後の物資不足の中、戦前から使用されていた国民食器や統制陶磁器などを利用しながら病院用給食食器を確保していた実態を垣間見ることができ、近代から現代への移行期の病院史を物語る貴重な資料です。 |
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(鹿島) |
註 |
*1 |
統制番号「岐阜971」は、美濃古窯研究会1999『美濃の古陶』によると、駄知陶磁器工業組合の駄知町(現・岐阜県土岐市)塚本久造が生産者であることが分かります。 |
*2 |
萩谷茂行2013「統制経済下における陶磁器製品製造、流通の一考察〜いわゆる「統制番号に関する検証」『瑞浪市歴史資料集』第2集 瑞浪市陶磁資料館を参考 |
*3 |
口径2.6cm、底径6.2cm、高さ16.4cm |
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参考文献 |
赤祖父一知 1993 「石川県富山病院・同医学所について」『医譚』第64号 |
尾山京三 2004 『富山県の陶磁器思考(1)藩政時代〜昭和終戦時代』(株)シンクハウス |
鹿島昌也 2015 「富山城下町遺跡出土「病院」銘入り徳利形陶器瓶の意義について」『日本考古学協会第81回総会 研究発表要旨』日本考古学協会 |
鹿島昌也 2016 「富山県内の近代「病院」銘入り陶器瓶について」『富山市の遺跡物語』第17号富山市教育委員会埋蔵文化財センター |
西田尚紀 1972 「石川県(金沢)病院および医学所」『金沢大学医学部百年史』 |
高井靖夫 2003 「県下初の私立病院創立者長谷川徳之」『高岡の図書館』第69号 |
寺畑喜朔 1987 「長谷川徳之の事績と系譜」『医譚』復刻第55号 |
福永肇 2014 『日本病院史』株式会社ピラールプレス |
金沢大学 1999 『金沢大学五十年史』 |
石川県教育委員会・(財)石川県埋蔵文化財センター 2002 『金沢市前田氏(長種系)屋敷跡』 |
金沢大学埋蔵文化財センター 2017 『金沢大学構内遺跡―角間遺跡、宝町遺跡、鶴間遺跡―』 |
(財)富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所 1998 『五社遺跡』 |
富山県 1981 『富山県史』通史編X近代上 |
富山市上下水道局・富山市教育委員会 2018 『富山城跡発掘調査報告書』 |
富山市立富山市民病院 1987 『富山市民病院史 創立40周年記念』 |
瑞浪市陶磁資料館 2012 『特別展 番号の付されたやきもの』 |
龍翔館<三国町郷土資料館> 1987 『第6回 特別展「三国焼」展』 |
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