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石斧の材料として |
転石や漂石は角がとれて丸石となっています。軟らかな部分はとれて硬い部分だけが残っています。この地域の蛇紋岩は滑沢に優れ緑色が美しく硬さに均質性があります。磨いて刃をつければ鋭い道具になります。縄文人は、それを見逃しませんでした。 |
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縄文早期末期から前期前葉の糸魚川市の川倉遺跡や富山県朝日町の明石A遺跡、上市町の極楽寺遺跡では蛇紋岩製の磨製石斧や敲打具が見られます。極楽寺遺跡は産地から遠く離れていて、製品が持ち運ばれてきたようです。一方、ここでは蛇紋岩と同じ岩脈に産する滑石・蝋石(硬度1)が持ちこまれ、けつ飾(=けつ状耳飾)という装身具が作られています。 |
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縄文前期後葉の富山市の小竹貝塚では蛇紋岩製のけつ飾や磨製石斧が目をひきます。蛇紋岩の産地からは45kmも離れていて原料が持ち込まれたことを物語っています。けつ飾には、加工途中のものがあって、ここで製作されています。前代には、軟らかな滑石を用いていたので技術向上のあったことがわかります。手先の器用さを競いあったのでしょうか。長さ2cmから3cmの小型石斧がたくさん出ています。これなどは実用品とは考えられません。民族学でいうヴァイグア(作ること自体に価値を認める)の一種かもしれません。 |
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縄文中期には、産地に近い糸魚川市の寺地遺跡や富山県朝日町の境A遺跡などで大規模な磨製石斧の作製が行われました。富山市の史跡北代遺跡にも原石が持ち込まれて製作が行われましたが、産地ほどではなかったようです。石斧のような大きな原石を必要とする代物は、産地から交易で入手されたものが多かったようです。ほかに史跡北代遺跡では翡翠の原石が出ていて装身具の加工が少しだけ行われていました。原石はせいぜい5cmから6cm大なので持ち込むのには苦労はなかったようです。産地から嫁いで来た人でもいたのだろうかと想像がふくらみます。 |
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縄文後期・晩期では、朝日町の境A遺跡で大規模な磨製石斧の製作が行われました。一集落では消費しきれない数量が生産されています(境A遺跡では中期から晩期の蛇紋岩製石斧未製品が総数13,857点出ています)。 |
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蛇紋岩製けつ飾 小竹貝塚 |
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磨製石斧 小竹貝塚 |
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