富山市埋蔵文化財センター Center for Archeological Operations,
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古代婦負郡の生産拠点と自然環境、交通
 

 
呉羽丘陵南西部、北陸自動車道富山西インターチェンジ周辺の丘陵地では、奈良時代から平安時代にかけての生産遺跡が数多く営まれました。この一帯では、須恵器・土師器・炭・鉄・鉄器などが集中的に生産されていたことが、長年にわたる発掘調査で明らかになってきました。まさに、古代のコンビナート、企業団地だったのです。
 
当地に集中する古代の多様な生産遺跡群のなかで、中核的存在だったのは向野池遺跡でした。当地の生産遺跡群は、古代婦負郡の役所(婦負郡家ぐうけ)に属する官営工房でした。生産遺跡群が当地に集中した理由は、1雑木ぞうきなどの燃料や粘土などの原材料を確保しやすい丘陵に位置すること」、2「完成した製品の輸送のかなめとなる古代の幹線道路が付近に存在したこと」にあったと考えられます(図参照)。
 
発掘調査を終えた現在、富山西インターチェンジの周りには企業団地が造成され、生産・物流拠点となっています。
 
古代のコンビナート、企業団地だった時代から約千年の時を経て、現在の企業団地として新たな歩みをはじめた当地の歴史は、交通の要衝に位置することと密接なつながりがあったのです。
 
婦負郡の想定古代道路体系と郷地−明治43年「迅速図」使用−
婦負郡の想定古代道路体系と郷地
生産管理施設兼生産工房(向野池遺跡)
古代の生産遺跡群(製陶・製炭・製鉄・鉄器生産)
(藤田富士夫 2002 「古代婦負郡の「郷」擬定と栃谷南遺跡の位置」
『富山市栃谷南遺跡発掘調査報告書V』富山市教育委員会に加筆)


 
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