平安時代に編纂された法典『延喜式』に、駅伝制における越中国内の駅家の1つとして「水橋」の名前が登場します。また、水橋地区はその立地条件などから船舶の往来が多く、北前船などの寄港地の一つともされていました。江戸時代には加賀藩より、東岩瀬や滑川、魚津等を含む「河東七浦」の一つにも指定されたことから、陸だけでなく、海の要衝としても重宝されていたことがわかります。 本展では、旧水橋郷土資料館蔵の資料を中心に、北前船関係資料や船上で使用されていた民具、信仰などについてご紹介します。