中田家は、茶木屋という屋号で、江戸時代初期から富山城下で薬種商を営み、売薬業にも携わっていました。
明治時代には、薬種商・製薬業を主軸とし、書籍商も始めました。また、製薬会社はじめ銀行や電力会社などの設立のために出資するなど、近代富山の経済基盤形成に大きく貢献しました。
16代当主の勇吉氏は民芸にも造形が深く、父(15代当主 清兵衛氏)の米寿を記念して、富山市民芸館を寄附されました。本展示では、民芸館開館60周年記念に合わせ、密田家ともつながりが深い中田家の資料から、薬種商の業績を中心に紹介します。