富山売薬は、江戸時代中期には既に全国へ商売範囲を広げていたとされています。商売先での活動の様子は、現在残っている史資料から詳細が知られている地域もありますが、まだ明らかでない地域も多くあります。そこで今回は、今まで明らかではなかった四国地方について取り上げます。
当館に蔵を移築された密田家も、四国地方に商売範囲(懸場)を持っていました。密田家文書の中には少数ではありますが、四国の各地で商売を行っていた富山売薬の足跡を示すものがあります。
特に高松藩に関しては、同藩から商売禁止措置を受けた際の文書があります。富山の売薬人は長年その解除を求めて活動しており、決して平穏ではなかった状況が読み取れます。また加賀藩領水橋の売薬人も同地で商売を行い、同様の措置を受けていますが、協力して商売再開に尽力する点も注目されます。
今展では、主に密田家文書を通して、四国地方の商売状況と、特に高松の事例を探り、富山売薬の活動の一端をご紹介します。
|