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売薬資料館
 売薬版画紹介

売薬のおまけであった 「売薬版画」 はたくさんの種類があります。
当館の収蔵品の中から、主立った版画5点をご紹介します。

火要鎮 大小暦、甲寅(嘉永7年) 近江八景之内、粟津晴嵐 太閤出世鏡 歌舞伎十八番内 静閑翁
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資料名

絵師 版元 制作年 寸法
火要鎮 大小暦、甲寅 (嘉永7年)
<ひのようじん だいしょうごよみ、きのえとら>
松浦守美
<まつうらもりよし>
栗山屋 嘉永6年
(1853)
32.0×11.0

大小暦は、太陰太陽暦のカレンダーです。この年の11月に、安政と年号が変わりました。
暦の間には 「火要鎮」(=火の用心) と書かれています。その下には、この年の干支(えと)である寅と、めでたい福神様が描かれています。細長い形で、カレンダーとして、また火守りのお札として、柱に貼ってもらうようになっています。
 


[2]


資料名

絵師 版元 制作年 寸法
近江八景之内、粟津晴嵐
<おうみはっけいのうち、あわずせいらん>
松浦守美
<まつうらもりよし>
隺棲堂 江戸時代後期
〜 
明治時代初期
22.1×15.9

富山の売薬版画には、歌川広重の名所絵などをまねたものも、たくさん見られます。この版画も、上部の風景画は、広重のものとよく似ています。
松浦守美(1824〜86)は富山生まれで、(おう)(しん)(さい)などと号していました。富山売薬版画を代表する絵師で、絵馬や俳諧本の挿絵なども描いています。



[3]


資料名

絵師 版元 制作年 寸法
太閤出世鏡
<たいこうしゅっせかがみ>
尾竹国一
<おだけくにかず>
小泉 明治24年
3月
(1891)
33.3×15.7

明治時代の富山売薬版画には、このような歌舞伎絵がたくさんあります。
尾竹国一(1868〜1932)は、新潟生まれで名は熊太郎。明治時代半ばに富山に住み、売薬版画の下絵や新聞挿絵などを手がけました。その後東京そして大阪へ移り、引札下絵や日本画を描いています(号は越堂)。弟の(ちく)()国観(こっかん)も絵師です。



[4]


資料名

絵師 版元 制作年 寸法
歌舞妓十八番内
<かぶきじゅうはちばんのうち>
尾竹竹坡
<おだけちくは>
熊本錦広堂 明治中期 37.2×24.4

尾竹竹坡(1878〜1936)は、富山で売薬版画の下絵を描いていました。若い頃から作品を手がけており、この版画には「幼年画工」と記されています。竹坡は後に日本画の大作も残しています。
市川家のお家芸「歌舞伎十八番」は、江戸後期に定められたものです。9代市川団十郎が「新歌舞伎十八番」とした当り役に、この作品の題材となっている左甚五郎(左小刀)があります。



[5]


資料名

絵師 版元 制作年 寸法

静閑翁
<じょうかんおう>

尾竹国一
<おだけくにかず>
高見清平 明治中期 31.8×15.3

この版画の手前の人物、(まん)(だい)(じょう)(かん)(静閑)は、江戸時代の初期、富山に「(はん)(ごん)(たん)」の製法を伝えた人物として知られます。後ろに描かれているのは、薬の神様として売薬さんにも信仰されている(しん)(のう)様です。富山にはゆかりの深い人物と神様です。
高見出版は、江戸期には栗山屋と称し、売薬版画を長年出版してきた版元でした。


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