富山市埋蔵文化財センター Center for Archeological Operations,
Board of Education,Toyama City
 
旧石器時代
 

 
富山市域の遺跡と旧石器人の暮らし
富山市域の旧石器時代の遺跡は、南部の神通川じんづうがわ右岸に位置する船峅ふなくら台地と西部の呉羽くれは丘陵・射水いみず丘陵周辺を中心に約60ヶ所が知られています。後期旧石器時代と呼ばれる約30,000から15,000年前の遺跡です。

旧石器人は遊動生活を送り、住居は簡易なテントのような施設だったと考えられます。史跡直坂すぐさか遺跡(直坂T遺跡)では調理の跡とみられる焼けた礫群れきぐんがあります。野沢のざわ遺跡では石器の集中状況から3つの世帯からなる集落が想定されています。

この頃の日本列島はいまより寒冷だったため海水面が低く、大陸と陸続きでした。渡来してくるナウマンゾウ等の大型動物も狩猟対象にしていたと考えられます。北代きただい遺跡や古沢ふるさわ遺跡出土の局部きょくぶ磨製ませい石斧せきふ(斧形石器おのがたせっき)は、そうした大型動物の解体に使われたという説があります。
局部磨製石斧(斧形石器)
局部磨製石斧(斧形石器)
 
 
東の石器と西の石器
富山県は列島の中央に位置することから、東日本に特徴的な石器と西日本に特徴的な石器の分布域が重なり合い、両方の石器が出土しています。

東日本では、東北地方の東山ひがしやま系石器群に代表される石刃せきじん技法が発達します。石刃技法は、縦長の剥片はくへん(石刃)を剥ぎ取る技法で、これを素材に石器が作られました。野沢遺跡では東山系のナイフ形石器等が出土しています。また、野沢遺跡や史跡直坂遺跡出土の石器は接合するものが多く、原石から剥片を剥ぎ取っていく過程がわかる資料として重要です。

一方、西日本では、横長の剥片を剥ぎ取る瀬戸内せとうちせとうち技法による石器作りが発達します。境野新さかいのしん遺跡・直坂U遺跡では、瀬戸内技法による横長剥片を素材としたナイフ形石器があります。境野新遺跡は東日本系の石器もあり、、一つの遺跡で東西の技法の石器が出土しています。
石器
上:削器・掻器・剥器
下:石刃・彫器・彫器剥片 (境野新遺跡)
 
 
旧石器から縄文へ
旧石器時代末から縄文時代草創期にかけて、それまでのナイフ形石器に代わり、槍のにはめ込む細石刃さいせきじん、槍先として使われた尖頭器せんとうき有舌ゆうぜつ尖頭器や石族が主要な石器となります。これは、温暖化で狩猟対象となる動物相が小型化したことが背景にあると考えられます。

向野池むかいのいけ遺跡では細石刃を剥離するための石核せっかくが採集されています。八木山やぎやま大野おおの遺跡や鏡坂かがみさかT遺跡の有舌尖頭器は、下呂石げろいしで作られ、岐阜地域との交流を示します。長沢ながさわ遺跡の尖頭器は復元長が16pを超える優品です。薄く細いため、実用ではなく、誇示したり儀礼で使ったりする道具だったとする説もあります。
有舌尖頭器
有舌尖頭器
(八木山大野遺跡)


 
Copyright(c) Center for Archeological Operations, Board of Education, Toyama City. All Rights Reserved.