安田城跡 歴史の広場
夏休み子ども歴史講座
- 秀吉と成政の戦いを見つめた城 安田城 -
 
平成28年7月29日(金曜日) 、市内外の小学生(4年生から6年生)と保護者計50名が、安田城の歴史や特徴などを学びました。
講師は、新庄北小学校の笹原克彦先生と神通碧小学校の堀泰洋先生、東部小学校の舟川宗吾先生です。
また、指導補助ボランティアとして、角田睦美先生、木本眞知子先生、杉森慶子先生が参加しました。
歴史講座の様子1
   
1.お話とDVDで学ぶ
まずは資料館で、安田城の歴史について学びました。
先生から、安田城は教科書に登場する秀吉の全国統一とも関係する城であり、白鳥城・大峪城とともに富山城の佐々成政を攻める前線基地となった城であるとの解説を聞いた後、映像でさらに詳しく学習しました。
その後、城跡のフィールドワークに出発しました。
歴史講座の様子2
   
歴史講座の様子3
   
2.フィールドワークで学ぶ
外回りと内回りの2つのコースに分かれて、お城の探検をしました。子どもたちは皆、先生方の解説に耳を傾け、熱心にメモしたり、写真を撮ったりしていました。

A.外回りコース
(1)城の外周から本丸の土塁に上がり、土塁の役割について学びました。
土塁は、高くて急傾斜な土の壁となり、侵入しようとする敵の前に立ちはだかるだけでなく、土塁の上からは敵の動きがよく見えるため、鉄砲や弓などで攻撃することができます。実際に土塁に上ってみることで、土塁が守りと攻撃の両面を備えた施設であることが、よく分かりました。



(2)土塁の上から、北西の呉羽丘陵山頂にある白鳥城、北東方向にある富山城など、安田城と関わりのある城の場所を確かめました。
先生から「安田城に陣を構えた武士は、広い本丸に物資を蓄えて駐屯し、白鳥城からの命令を待っていたのだろう。」との説明がありました。
歴史講座の様子4

(3)城の外周を約20分かけて一周すると、城の周りは全て堀で囲まれており、出入口は一箇所の橋しかないことが分かりました。
先生から「通路をわざと少なくすることで、敵が攻めにくいように工夫したのだ」という説明がありました。
外周を回ることで、城の大きさも体感することができました。
歴史講座の様子5


B.内回りコース

(1)資料館内にある展示室で、安田城跡の出土品を見学しました。
最も多く出土した「かわらけ」は、さかづきのほか、なたね油を入れて火をともす灯明皿としても使われており、先生からは「武将らが夜な夜な作戦会議をしていたのだろう。」との説明がありました。


歴史講座の様子6
(2)右郭にある野外模型で、安田城の構造を確認しました。
先生からは「城を堀で囲み、曲輪の間を狭い橋でつなぐ構造は、橋を渡る敵兵を土塁の上から狙い打ちできるように計算されたものである。」との説明がありました。
歴史講座の様子7
(3)佐々方の敵兵になったつもりで、右郭から二の丸に進み、本丸を目指します。
先生からは「敵兵が二の丸まで攻め込んできたら、本丸の土塁上から二の丸の土塁のない部分に向けて攻撃することができる。本丸に通じる橋が木橋なのは、いざという時には壊して通れなくするためだろう。」との説明がありました。
歴史講座の様子8

(4)本丸の土塁展示施設で、土塁のはぎとり断面を観察しました。
子どもたちは、土塁が何層にも土を積み重ねて築かれたことを知って、機械がない時代にこうした施設を築く戦国時代の人々の苦労を感じるとともに、当時の技術に感心していました。
歴史講座の様子9
 
   
3.レポートにまとめよう!
フィールドワークが終わると資料館にもどって、それぞれに「安田城で印象に残ったもの」をレポートにまとめました。
子どもたちが書いた「安田城で印象に残ったもの」の第1位は、「守りやすく攻めにくい城づくりの工夫」で、よく考えられた城の構造に驚いたという意見が多くありました。
歴史講座の様子10
そして第2位は「戦国時代の人々はすごい」で、城を築いた戦国時代の人々の知恵や技術、苦労などを知り、感動したようです。
完成したレポートは、他の人の意見を参考にしてさらに理解を深めてもらうため、後日、レポート集としてまとめて参加者に配布しました。
今回の子ども歴史講座が、子どもたちに郷土の城や歴史の素晴らしさに気づいてもらう良いきっかけとなれば幸いに思います。
完成したレポート