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『第13回富山国体宿泊所掛看板』 |
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20世紀最後の年に富山で開催された国体。富山県選手は健闘し、初の男女総合優勝を果たしました。本大会で55回目を迎えた国民体育大会ですが、富山での秋季大会開催は、第13回大会に次いで2回目となります。 そこで今回は、第13回富山国体の概要と、それに合わせて新築された富山市体育館についてみてみることにしましょう。 |
第13回富山国体 |
昭和33年、第13回国体の秋季大会は富山県内20市町で開催されました。開会式は10月19日に県営富山陸上競技場で行われ、聖火台の点火は最終走者である県体育協会副会長岩川毅が、選手宣誓は陸上競技の安田寛一が行いました。 この大会では、初めてブラジル日系2世5人の特別参加が認められました。 |
![]() 選手宣誓 |
安田寛一選手が、スポーツの栄光と郷土の名誉のために堂々と競技することを誓った。 |
富山市で開催された競技は次の通りです。
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10月23日の閉会式まで、各地で熱戦が繰り広げられました。 総合優勝は東京都でした。 |
![]() マスゲーム |
富山県選手も奮戦し、男女総合成績(天皇杯成績)は第10位でした。都道府県対抗になった第3回大会以降、最高の成績でした。 前年の静岡大会から冬・夏・秋季の3大会を通じて、競技別優勝の数が最も多い都道府県に天皇杯を授与するというふうに規定が変更されていました。この大会、富山は競技別優勝が一つもなかったため、8位以内に入ることができなかったのです。それ以前は、1位10点、2位7点…8位1点とし、その合計で決定されており、これで計算すると総合4位の成績でした。ちなみに現在は、各競技の8位までの入賞に、それぞれ得点を与え、さらに参加点を加えた点数の合計が総合成績となります。 |
開会式では、小中高の児童生徒や婦人会などによる、マスゲームが披露された。 |
富山市体育館 |
さて、第13回富山国体に合わせて新築された建物の一つに富山市体育館(現牛島体育館)があります。ここから先は、近々取り壊しが決定している、この体育館についてお話ししましょう。 |
昭和28年4月、県体育協会会長から日本体育協会に、正式に「第10回国民体育大会開催申請書」が提出されました。誘致運動の結果、同10月に第13回大会の富山開催が内定したのです。ただし、これには同31年までに体育施設を整備し、各競技団体の育成強化を行うことが条件でした。こうした中、富山市牛島地内に建設されたのが、富山市体育館です。国体開催中は体操競技の会場となりました。 | ![]() 国体会場 |
体育館は国体では体操の競技会場となった。 |
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国体終了後、10月24日に完工披露式が富山市体育館にて行われました。式には県・市議会議員、各種団体長、学生、生徒ら約3000人が出席しました。市長・知事らによるあいさつ、祝辞の後、一旦式を閉じ、続いて公開演技に入りました。演技では、オリンピックや世界選手権などに出場した一流選手を始め、国体秋季大会に出場した選手たちが、約2時間にわたって妙技を披露しました。 |
![]() 富山市体育館全景 |
富山市体育館は工費2億円余りで、昭和33年4月に着工、10月15日に一応完工し、国体の体操競技会場として使用されました。建物は鉄筋コンクリート三階建てで、延床面積が約7500m2、収容定員は6000人でした。 一階には大競技場のほか事務室、切符売場、医務室、シャワー室などがあり、二階・三階には観覧席や会議室がありました。 |
まだ、周囲に高い建物はない。 |
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披露式での祝辞では「天候に恵まれない富山に理想的な大きい、しかも完全な設備を誇るセンターができ、スポーツの技術練習に役立てるよう、また今後の富山県スポーツ水準向上を期待する」と述べられました。披露式の後、同29日には開館記念のプロレス国際大試合が行われました。 | |
内部の様子 |
開館後は、様々なスポーツが繰り広げられ、昭和56年には隣接してトレーニングセンターも新設されました。また、スポーツだけではなく、平成3年度までは富山市の成人式会場ともなっており、長く市民に親しまれてきました。しかし、近年老朽化したことから、2000年国体に向けて、すぐ近くに新体育館を新築することに決定したのです。新体育館は、平成9年1月に工事を開始し、平成11年8月21日に富山市総合体育館として完成式が行われました。これに伴い、旧体育館は牛島体育館と名称を変えました。 | ![]() 成人式 |
昭和37年度から、会場が公会堂から体育館に移った。 |
旧体育館の最後を飾るイベントとして、2000年国体でのスポーツ芸術「躍動美の祭典」が行われました。体育館を使用してきた富山市民、老若男女約1100名のスポーツ仲間が参加し、スポーツをする楽しさを全身で表現しました。 |
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旧富山市体育館は、開館以来、市民のスポーツ振興に大きく貢献してきました。富山で最初に開催された国体に合わせて新築された体育館は、秋季大会としては2回目の開催となる「2000年とやま国体」を見届け、今年度中に取り壊される予定です。 | |
新築された富山市総合体育館 |
旧体育館は平成12年度に取り壊されました。 |
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![]() 2000年とやま国体 マスコット 時丸 |
2000年とやま国体において、当館はスポーツ芸術の会場の一つとなりました。スポーツ芸術は、スポーツで見られる人の動きの美しさなどを芸術の対象とした古代オリンピアの祭典に起源をもつといわれています。国体では第10回神奈川大会から実施され、展示や公演を通じた開催県の芸術文化の紹介が行われています。第13回大会では、スポーツ芸術の会場は当館だけでしたが、今大会では、主催事業20のほか、様々な協賛事業が各地で開催されました。 | ![]() スポーツ芸術会場 |
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スポーツに関する作品を展示する郷土博物館。昭和33年。 |
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富山国体を記念して第87回関東中部連合自治宝籤が発行されました。富山市体育館の完工披露式と同日に富山市公会堂で抽選会が行われました。 |
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