|
|
||||
|
|
![]() |
中教院前の交差点から北へ入ると、そこは中教院通りです。商店が並ぶこの通りの一角に、ひっそりとした小さな祠を見つけました。石柱に「富山中教院」と書いてあります。どうやら、これが“中教院”のようです。この小さな祠は一体何なのでしょうか。時は130年前にさかのぼります… |
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
![]() (1)富山城下絵図(江戸時代後期) |
![]() |
|
|
![]() |
||||
![]() |
![]() (2)富山市街見取全図(明治18年) |
|||
(1)は江戸時代後期の通坊(勝興寺支坊)、(2)は明治18年の同じ場所の様子 勝興寺の敷地が削られたことがよくわかる。 |
![]() |
![]() 神宮教会所 明治20年越中富山市街図より 堤町通りから正面を見たところ |
||||
|
![]() |
「越中国富山神道事務分局 中教院・神宮教会 神殿之図」 |
立派な神殿には多くの参拝客が訪れ、門前は通行人で賑わう。松浦守美が下絵を描いた版画。明治15年頃の様子。 |
![]() |
|||||
|
![]() |
![]() |
||||
|
|||||
火防線 | |||||
これは木町から中野町に設けられた火防線の写真 |
![]() |
|||||
|
![]() 昭和8年富山市街地図(部分) |
![]() |
![]() |
点線が市電路線。 矢印の位置が中教院があった場所。 前出の(1)(2)とほぼ同じ部分。 |
移転した大神宮 昭和15年富山市街地図 |
![]() |
|
||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||
現在の中教院 |
▲UP |
←博物館だよりINDEXへ戻る | (記:河西奈津子) |