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『山水図』 |
前田則邦(まえだのりくに)(弘化4年(1847)〜大正4年(1915)) |
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![]() 富山藩の9代藩主前田利幹(まえだとしつよ)の孫として生まれます。 幼名は竹太郎(武太郎)、また民邦(たみくに)、春江ともいいました。 藩政時代 嘉永(かえい)7年(1854)に知行500石と、若土(わかつち)という姓をもらい、富山藩主前田家の親類でありながら、家臣のひとりとなります。 廃藩置県後の明治8年 前田に復姓し、富山師範学校校長や、婦負・上新川・中新川の郡長、十二銀行(北陸銀行の前身)頭取などを務めました。 幕末から大正期まで、長い間富山の政治の中心にいた人物ですが、このような作品も残しています。 |
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《《主に幕末〜昭和期に活躍した、富山出身の絵師たちを紹介します。》》 |
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雪中独騎図 |
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黒部市生地に生まれる。 名は亀之助。 明治22年 東京美術学校に入学。在学中には岡倉天心(おかくらてんしん)、フェノロサ、橋本雅邦(はしもとがほう)、川端玉章(かわばたぎょくしょう)に師事する。さらに同校研究科に進み、インド・ペルシャ・中国・日本の古画の研究に打ち込む。明治27年に卒業し、山梨や栃木で中学校教諭を勤める。 明治33年に退職してからは、作品制作と論文執筆に専念する。書もよくし、書画一体論を唱えた。 山水や仏教画の作品を多く描いた。 |
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金碧西園雅集図 |
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麗日孔雀図 |
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