豊田大塚・中吉原遺跡は、富山市街の北約4.5kmの豊田本町地内に位置します。神通川右岸の微高地上に立地し、標高は7mから8mを測ります。弥生時代終末期から鎌倉時代の集落遺跡、縄文時代晩期から平安時代の祭祀遺跡です。 平成7(1995)年、平成24(2012)年に店舗等建築に伴って発掘調査を実施しました。 |
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縄文時代晩期から古墳時代前期の祭祀場 |
発掘調査の結果、遺跡の北東側には沼地が広がっていることがわかりました。 縄文時代晩期(約3000年前)には、その沼地へ土器や石器が廃棄されていました。中には意図的に破壊された御物石器や石刀、土偶などの祭祀遺物もありました。
弥生時代終末期から古墳時代前期(約1700年から1600年前)にも、縄文時代同様に土器が沼地へ廃棄されていました。その土器には、祭祀に使われたと考えられる赤く塗った壺などが含まれていました。 このことから、縄文時代晩期、弥生時代終末期から古墳時代前期には、水辺において祭祀を行っていたと考えられます。 |
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沼地 |
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沼地への遺物廃棄状況 |
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弥生時代終末期から古墳時代前期の集落 |
遺跡の北側中央(平成7年度調査区)には、弥生時代終末期に沼地の岸辺を大きくえぐりとって、湧水地が作られました。そこには、大木をくり貫いた枠のある井戸2基、板を四角に囲った水さらし場遺構1ヵ所、水さらし場へ行く木道など湧水地を利用するための施設が設けられていました。 |
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井戸・水さらし場遺構 |
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木道 |
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湧水地の南東約220m(平成24年度調査区)の沼地べりでは、古墳時代前期の竪穴建物2棟、掘立柱建物3棟、土器廃棄土坑などの遺構を検出しました。 |
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竪穴建物 |
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掘立柱建物 |
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ちょうちょう塚を造成した拠点集落 |
2度の調査の結果、本遺跡は弥生時代終末期から古墳時代前期まで長期間にわたり継続して存続した拠点集落であったことが分かりました。 北西約240mにある古墳時代前期のちょうちょう塚(古墳)は、この地域の首長墓であり、本遺跡の人々が古墳を築いたと考えることが出来ます。
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関連書籍(表紙をクリックすると全国遺跡報告総覧のホームページが開きます) |
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富山市教育委員会 2013
『富山市豊田大塚・中吉原遺跡発掘調査報告書』 |
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