水橋金広みずはしかねひろ中馬場なかばんば遺跡

1 中世の遊び -双六盤-
(富山地域)
富山市水橋の上条地区を流れる白岩川中流右岸にある水橋金広・中馬場遺跡は、古墳時代と鎌倉時代から江戸時代前期を中心に営まれた集落・館跡です。
遺跡の北と南それぞれ約2kmには、小出城こいでじょう仏生寺城ぶっしょうじじょうが築かれています。織田方(佐々成政)と上杉方(上杉景勝)の争いの舞台となった地のほぼ中間に位置しており、このような武将達に関連のある館跡の可能性があります。
11年度調査区(北からみた全景)
11年度調査区(北からみた全景)
平成11年度に行われた発掘調査で、安土桃山時代(約450年前)の館の施設とみられる遺構から、双六盤が出土しました。
 
 
中世の遊び -双六盤すごろくばん-
現在の「すごろく」は、さいころを振って出た数だけ進み、先にゴール(あがり)した人が勝ちというゲームで、絵双六えすごろくと呼ばれています。
しかし当時の「すごろく」は盤双六ばんすごろくと呼ばれ、四角い盤のうえで二人で対戦するゲームでした。白黒それぞれの駒をさいころの出た目の数だけ進め、相手の陣地に先に全ての駒を送りこんだ方が勝ちなど、5種類ほどの遊び方が知られています。
 
今回出土した双六盤は厚板状で、本体はケヤキを使用しており、盤の収縮を和らげるための埋木うめきにはクロベが用いられています。盤面には罫線が明瞭に引かれています。駒石を盤に置くときの音響効果をねらって、底部中央には台形に削り出した「ヘソ」が付いています。
 
このような双六盤は、「鳥獣戯画」「石山寺縁起」といった絵画に描かれており存在は知られていましたが、実際に厚板状の盤が完形品で出土したのは全国でもはじめてです。
出土した盤には使用した痕跡も認められ、館に住む武将達が双六に興じていたと考えられます。
出土した双六盤   双六盤が出土した遺構と出土地点
出土した双六盤   双六盤が出土した遺構と出土地点
(●赤丸部分)
 
 
関連項目
  水橋金広・中馬場遺跡 2 中世から近世の川魚捕獲加工の拠点遺跡か
  水橋金広・中馬場遺跡 3 その他の時代
  若王子塚古墳 県内最大級の大型円墳
 
 
関連書籍(表紙をクリックすると全国遺跡報告総覧のホームページが開きます)
富山市水橋金広・中馬場遺跡発掘調査報告書2   富山市水橋金広・中馬場遺跡発掘調査報告書2   富山市水橋金広・中馬場遺跡発掘調査報告書
富山市教育委員会 2001
『富山市水橋金広・中馬場遺跡
発掘調査報告書2』
  富山市教育委員会 2006
『富山市水橋金広・中馬場遺跡
発掘調査報告書U』
 
富山市教育委員会 2009
『富山市水橋金広・中馬場遺跡
発掘調査報告書』