富山市水橋の上条地区を流れる白岩川中流右岸にある水橋金広・中馬場遺跡は、奈良から平安時代の遺物と、室町時代から江戸時代前期にかけての多くの遺構・遺物が見つかっています。 |
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@)奈良から平安時代(約1200年前) |
須恵器・土師器が約20点程出土しています。遺構は未確認です。 |
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A)室町時代から江戸時代前期(約500年前から300年前) |
・道路跡 |
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路面幅約2.7m(9尺)の道路跡で、両面に幅3mから4mの大きな側溝(大溝)が伴っています。溝が形成された段階(中世)で、若王子塚古墳の裾を一部削りながら残存する古墳の墳丘裾に沿って北へ向かっています。
旧地割図を見ると、大溝が埋まった後も、ほ場整備前までほぼこの位置に道が存在していました。 |
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・大溝跡 |
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今回の調査区の北端に2条(浅いものと深いものが重複している。)見つかっています。
この大溝は、平成11年度の北側の道路跡のほか、井戸2基が確認されているにすぎません。 |
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・井戸跡 |
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一辺2.5mの方形の井戸跡と、直径1.7mの円形の井戸跡を各1基づつ検出しています。井戸跡からは、中世から近世にかけての土器や陶磁器の他に、箸状や板状の木製品、植物の種子などが出土しました。
方形の井戸からは、五輪塔の空風輪や、宝篋印塔の相輪部が出土しました。井戸を使うのをやめた際に投げ入れたもので、井戸祭祀の一形態と考えられます。 |
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