富山市水橋の上条地区を流れる白岩川中流右岸にある水橋金広・中馬場遺跡は、古墳時代と鎌倉時代から江戸時代前期を中心に営まれた集落・館跡です。
富山市では平成11年から発掘調査を行っています。 |
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平成11年度調査 |
大溝で区画された敷地(館跡)の中に、88基もの井戸跡(石組み、木組み、素掘り)や方形竪穴状の遺構、掘立柱建物跡多数が検出されています。
安土桃山時代の方形竪穴状遺構からは、国内で初めて完全な形の厚板状の双六盤が出土しました。 |
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平成12年度調査 |
遺跡を東西に横切る幅約2.7mの道路の側溝から金属製の「ヤス」が1点出土しました。全長38cm、先端幅19cmを測る大型の「ヤス」です
金属製の「ヤス」が出土した地点から約14m南西に所在する井戸跡の底に、木臼(木摺臼)の下臼の摺り卸し目を残して内側をくりぬいたものを逆さまにし、水溜めとして転用された木製品が出土しました。その側面全面に漁具の「ヤス」などを鋭い刃物で刻んだ線刻画が描かれていました。「ヤス」で魚を突く図や釣り針で魚を釣る図、漁具を描いたと思われる図などが表現されていました。 |
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金属製の「ヤス」が出土した溝と「ヤス」などが線刻された木臼が出土した井戸跡は、いずれも江戸時代前期に埋まったことが一緒に出土した越中瀬戸焼などの遺物から推定されます。 |
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出土した「ヤス」 |
魚を突き刺して捕獲する道具です。
鉄製ですが、銅さびが付着していました。銅メッキがしてあったと思われます。 |
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木臼に描かれた「ヤス」 |
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木臼が出土した状況 |
この木臼は、「摺り臼」です。摺り臼は「上臼」と「下臼」を上下に重ね擦り合わせて、粉を挽く時に使用します。出土したものは「下臼」です。
木臼の側面全面に10本の「ヤス」が、鋭い刃物で刻まれています。ヤスの他にも、『「ヤス」で魚を突く様子を描いた図』や『釣り針で魚を釣る図』『漁具の図』などが描かれています。 |
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平成14年度調査 |
平成12年度に木摺臼が出土した井戸の南約160mで見つかった井戸の底から、木摺臼の下臼を円筒形にくりぬき、水溜めに転用されたものが出土しました。側面に2本の「ヤス」が線刻されていました。井戸の中から越中瀬戸焼が出土しており、江戸時代前期に使われていた井戸と見られます。 |
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白岩川流域の村々では、江戸時代に大掛かりな規模でサケ・マス漁が行われていたことが文献資料に見られる河川役(鮭・鱒・鮎に対する税金)を課せられていることからうかがえます。井戸跡が密集していることもサケ・マス加工のために豊富な地下水を汲み上げていたことも推定されます。 |
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今年度調査では、中世の遺構から土錘やタモに用いられた弓状木製品などが出土しました。中世段階から川魚漁が行われていた可能性が想定されます。 |
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これまで知られていなかった川魚漁に関わる遺跡について検討できる貴重な資料が得られました。 |
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水溜めに転用されていた木臼 |
側面に2本のヤスが描かれています。 |
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