昔、田植は単なる農作業ではなく神聖な祭りであり、主に「早乙女《ソトメ・ショウタメなど》」[3]と呼ばれる女性が行っていました。これは、人々が農耕と人間の生殖を結びつけて考え、[4]田植を「女性の生殖力を神に感受」してもらい、豊作を願うための儀式としていたことの名残だといわれています。[5]
早乙女たちは大変華やかな格好で田植を行いました。『富山県史』民俗編によれば、花嫁は友禅や米沢の柄物の、丈は膝上までで、長い袂がついたものを着、赤い縮緬のたすきをかけ、背中で大きく結びました。帯はオタイコで、赤い腰巻を蹴出しにし、マイカケ姿、脚半・手甲は白木綿に赤い紐をつけ、笠は赤いズキアテをつけたアネマガサ(妻折笠)、といった出で立ちでした。年が寄るに従って少しずつ地味になり、上衣は絣系統、帯はオタイコから普通の帯、たすきも大きな結び目は作らず、腰巻は桃色・エンジ、手甲・脚半の紐は白、脚半は紺色、笠は菅笠、紐は黒。それでも平生の作業よりは華やかでした。[6]
これらを参照の上もう一度絵を見てみますと、早乙女たちの出で立ちは赤いたすきをしているものの、手甲は着けていませんし、笠もかぶっていたりいなかったりなどバラバラで、それほど厳格なきまりはなかったように見えます。また、腰巻きも赤色や薄エンジ、紺色など様々な色のものが見られます。ただし、これらは年齢の違いから来るものかもしれません。
また他にも、長い棒を田に差して立っている男性が見られます。宮本常一『ふるさとの生活』によると、中国地方の大田植では、「サゲシ」と呼ばれる音頭とりが「棒の先に紙のきったのをはたきのようにつけたもの」(「ボンデン」・「サゲヅエ」、田の神が来ると信じられていた)を田の中に立て、「サゲウタ」(「サンバイサマ」(田の神)をたたえる歌)を歌うそうです。[7]絵の中の男性はこの「サゲシ」に相当する人物とも考えられます。
男性は非常ににこやかな表情をしています。田植歌を歌っているのかもしれません。田植をしている女性たちもどこか楽しそうです。田植を華やかな祭りとし、皆で田植歌を歌うことで、この過酷な作業を乗り切ろうとしている様子をこの絵から感じとることができるのではないでしょうか。
この絵からは他にもいろいろなことが読み取れます。次回も引き続きこの絵に関連した収蔵品を紹介します。
※今回紹介したシカブと絵は本館1階ニワに展示してあります(絵はパネルによる展示)。 |