本丸の発掘
戦国時代の食生活(2003年度調査)

戦国期の堀や建物周辺から出土した遺物から、城内に住んだ武将や兵隊達の食生活が読み取れます。

遺物といってもそれらは数ミリしかなく、発掘現場では肉眼で発見することはできません。遺跡の土を水で洗って篩にかけ、丹念に拾い出したものです。
戦国期本丸の堀には火災残滓に混じって多くの穀類が捨てられていました。火を受けているので残りは悪いですが、同定された種類には、イネ(コメ)・コムギ・オオムギ・ヒエ・アワ・マメ類・ソバ等があり、五穀がすべて揃っています。コメが最も多く、次いで豆類、ヒエ・アワ、ムギの順になります。コメは籾殻が付いた状態で固まって焼けていることから、籾の状態で保管されていたことがわかります。これは種籾ではなく、食糧として倉に保存されていたもので、他もすべて貯蔵がきく穀物です。 戦国時代の穀類
戦国時代の穀類
度重なる争乱で田畑からの収穫も満足に得られなかったとされる時代にあって、越中の有力武将たちを従えた神保氏・佐々成政の居城富山城では、戦に備えて大量の軍糧が備蓄されていた様子が復元できます。

魚骨や獣骨も見つかっています。魚はスズキ目タイ科に属し、鯛は当時も高級魚とされていました。分析では種類まで同定できませんでしたが、富山湾内で捕獲されたタイを食べていたのでしょう。

獣骨は中型哺乳類で犬とみられます。縄文時代や弥生時代の犬は、骨に解体痕があることから食用とされたことが通説となっており、その風習は江戸時代まで続いたと考えられています。富山城で飼われていた犬の骨は焼けて細片になっていることから、食用として飼育されていた可能性があります。

また、西ノ丸を中心にマツやケヤキの実が見つかっています。これは食用ではなく樹木から落下したものとみられます。城内にはマツやケヤキが観賞用に植栽され、庭園が存在したことを物語っています。当時の戦国大名は枯山水の庭園を好み、鋭い葉を持つ針葉樹を多く植えたとされます。富山城でも西ノ丸に枯山水風の庭園があったと推定されます。城の北に流れる水量豊富な神通川の風景を借景すれば、戦国武将の心情を惹きつける庭園となったことでしょう。
(古川)