本丸の発掘
戦国時代の井戸(2008年度調査)

平成20年度の試掘確認調査において、本丸北東部で井戸とみられる遺構を確認しました。これまで城下町での確認例はありましたが、城内で井戸を検出したのは初めてです。

井戸の掘削は、最初に「掘り方」と呼ばれる穴を掘った後、中に木や石で組んだ井戸枠を設置します。水を溜めるのはこの井戸枠の中です。今回検出したのは掘り方の一部です。掘り方の径を推定すると上面で約5.4mになります。これだけ大規模な掘り方を設けているのは、砂質の土壌が崩れないよう傾斜をもたせながら掘削したためと考えられます。内部の井戸枠は、元々存在したと思われますが、さらに下層にあるのか、後世に取り去られてしまったのか、調査では確認できませんでした。井戸の深さは1.6m以上あることがわかりました。

井戸が埋まった土からは、かわらけ、珠洲、瀬戸美濃、越中瀬戸、青磁、白磁等の陶磁器が多数出土しました。16世紀後半から17世紀初め頃の遺物なので、井戸が使われていたのは16世紀中頃の戦国期と考えられます。この井戸は天正13(1585)年の富山城の破却に伴い廃絶したか、あるいは慶長10(1605)年の前田利長による築城で近世城郭として整備されたときに廃絶した可能性が考えられます。
(野垣)
弧状の白線の内側が井戸跡
弧状の白線の内側が井戸跡