神通川の矢穴石
   
近年、神通川中流右岸の富山市下大久保地内で、安山岩の矢穴石が1石発見されました。

発見地は、神通川右岸に発達した中位河岸段丘の縁で、周囲にはかつての河床礫とみられる小礫が多数みられます。現在の神通川とは500m離れています。
矢穴石の位置
矢穴石の位置

矢穴石は半分が地下に埋まっており、地表部分の大きさは、長さ2.2m、幅1.3m、高さ0.75m、地下部分は2.5m×1.6mほどの大きさと推定されました。
下大久保の矢穴石
下大久保の矢穴石
この石には、28個の矢穴痕が認められ、12列の矢穴列が復元されます。これらの間隔が狭いことからみて、割り取られた石材は、薄い板のような形状と考えられます。

矢穴は、底面が細くなっており、横断面が三角形に尖る楔状となります。富山城のものは横断面が台形でこれとは異なっています。各矢穴列には2個から数個の矢穴が間隔を置いて並んでいます。

このうち3列の矢穴列は、矢穴と矢穴の間にある部分を取り去り、V字状の溝に整えていました。溝の側面はきれいな平面に整形してあります。

このように矢穴石には、矢穴列による割取技法と、矢穴列を連結して溝切する溝切技法の、2種類の割取技法が使われていました。このような割取技法に近似する技法は、氷見市加久麻神社や富山城石垣でも1石のみに確認されます。いずれも安山岩石材です。これらは矢穴を深くするための矢場取加工の一種とみる見方もありますが、矢穴底面まで溝の底が及んでいることからみると、溝を彫ることによって割るラインを定めやすくしたものと考えられます。

この石から割り取った板状の石材は、石垣石材ではなく、石造物あるいは階段等構造物の材料にされたと推定されます。

周辺には2mを越える巨石は存在しません。したがってこの石は何らかの目的でここに運び込まれたと考えられます。ここから北東1.2kmには古墳後期の変形八角形古墳とされる富山市伊豆宮古墳が現存し、またこのすぐ北側には、同じく福居古墳が存在したとされますが正確な位置は不明です。仮説ですが、後期古墳の石室天井石として持ち込まれた石材が、後年土が流れて地上に露出し、格好の石材原石として再利用された可能性もあるでしょう。それが福居古墳あるいは第3の新しい古墳かもしれません。
(古川)