門跡を示す石垣石材

本丸鉄門石垣には、三間薬医門やくいもん形式の「鉄御門くろがねごもん」と呼ばれる門が存在しました。このことは、絵図「鉄御門正面之図・妻之図」・「富山城鉄御門絵図」(いずれも富山県立図書館蔵)の存在によって明らかになります。
この門は、櫓台石垣の間に納まる構造なので、石垣面にはホゾ穴など門の横木を受ける加工が行われます。しかし、現存する石垣にはそのような加工痕をもつ石材は見当たりません。

郷土博物館の建つ鉄門東石垣の西端面には、四角く彫り込みのある石材が存在します。この石材は、石垣の鎮め石であるとか、石仏を彫ろうとして途中で止めたものとか、石仏の転用材であるとか、さまざまな説が出されましたが、用途は不明でした。

この石は、縦50cm、横54cmの方形で、中央に縦22cm、横32cm、深さ1cmの方形の彫り込みがあります。彫り込みの内寸は縦19cm、横29cmで、上部の隅角は丸くなっています。下端面は幅2cmあり、平らに整形されています。またこの掘り込みの下端左右には、下垂する溝(長さ5cm、幅5cm)がそれぞれついています。
以上の構造からみて、この加工は、門の蹴放(けはなし)(門の下におかれる水平の敷居のような材)を受ける大入れの仕口加工と推定されます。左右の溝は、仕口に溜まった水を排出するために排水用の小溝とみられます。溝の下端部あたりから下は、石表面の風化度合いや色が変化しており、その高さまではかつて土に埋もれていたことがわかります。

この仕口加工石材は、本来鉄御門の両側のいずれかにあったものと考えられます。古写真によれば昭和前期には現在の石積なっていることから、明治から大正期の修復により、当初の位置が変えられたと推定されます。
(古川)
仕口加工のある石材の位置図 仕口加工のある石材(現在は半分以上が埋もれています)
仕口加工のある石材の位置図 仕口加工のある石材
(現在は半分以上が埋もれています)