昭和の鉄門石垣改修

昭和29年4月、城址公園では「富山産業大博覧会」が開催されました。この博覧会は、戦後復興を目指すもので、その一大シンボルとして3層の天守閣(現在の市郷土博物館)がコンクリート造で建設されました。
このとき、石垣の各所が大きく改修され、江戸時代の構造が失われました。そのことを示す1枚の写真が市郷土博物館に所蔵されていました(写真1)。

真の裏には「二八年七月下旬 石塁移シカヘ」と注記があります。この写真が撮影されたのは、昭和28年7月下旬で、工事が開始されて約半月後であることがわかります。撮影場所は、鉄門東石垣の北面、現在の郷土博物館の入口西側の石垣面になります。
今その石垣面は平らな面になっていますが、写真ではかつてV字形の階段(合坂あいさか)が存在したことがわかります。

「万治年間富山旧市街図」「天明から安政富山城図」には、この写真と同じ合坂の表現があり、この階段が江戸前期の寛文初年頃から昭和28年まで存在していたことがわかります。
類似した合坂は、同じ鉄門西石垣の北面にもあります。ここの合坂は、雁木がんぎをもち、また階段の幅が東石垣の2倍ほどになっており、構造がやや異なっています。
これらの階段は、鉄門両石垣上に築く予定だった二階櫓に登るための階段です。

石垣に存在した合坂は、郷土博物館建設の際、土台として構造上変形を招くため取り去られました。存在していたことを示す最後の証拠写真がこの写真です。写真の右側階段より右にある石垣面は、現在の石垣面に同じ部分を見出すことができます。
現地で確認してみてください。
(古川)

昭和28年7月撮影「石塁移シカへ」
写真1 昭和28年7月撮影「石塁移シカへ」
(富山市郷土博物館蔵)
現在の石垣の該当部分
写真2 現在の石垣の該当部分