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『萌黄縅鎧』(もえぎおどしよろい) |
この鎧は富山藩第9代藩主 前田利幹(まえだとしつよ)着用のものです。利幹は明和8年(1771)大聖寺(だいしょうじ)藩前田家に生まれ、富山藩前田家へ養子に入り、享和(きょうわ)元年(1801)に藩主となりました。藩の財政立て直しに尽力し、天保(てんぽう)7年(1836)に亡くなります。 さて、この鎧の名前ですが、「萌黄<もえぎ>」とは黄と青の中間色、つまり薄緑色のことを指していいます。また「縅(おどし)」とは鎧の材料を糸でつづりとじてあることをいいます。よって萌黄色の糸でとじてある鎧ということになります。 江戸時代には実際に鎧を着て戦うことはほとんどなかったので、略式のものが多く作られました。この鎧も儀式用につくられたものと思われます。 |
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兜鉢は筋形の鉄をつなぎ合わせて作られています。兜の下に付いているのが![]() ![]() |
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兜の正面に付けられているものは立物(たてもの)といいます。(前に付くものは前立)「萌黄縅鎧」の兜には、鍬形と龍の頭の立物が付いています。立物には飾り、あるいは合印(あいじるし)などの意味があります。 |
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頬当は鼻から下を覆うもので、目の下頬ともいいます。鼻の部分は取り外しできるようになっています。 この頬当の下に直に付けられ、首を守るものが垂です。 |
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草摺は胴に付けられ、腰から下を守っています。足の運びがよいように幾つかに分けて付けられています。「萌黄縅鎧」の草摺は8つに分かれています。 |
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袖は肩から腕にかけて守るもので、胴や![]() |
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臑当は膝から下を守るものです。「萌黄縅鎧」の臑当は鉄製で、蝶番(ちょうつがい)で開いて足を出し入れできるようになっています。 |
一口に「鎧」といっても、この他たくさんの部分から成り立っています。また、様々な鎧があり、それぞれに特徴があります。じっくりと見てみるとおもしろいですよ。 |
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