富山城の石材
(2) 砂岩
2.意外な場所からの発見

富山城石垣の石材として利用された高岡産砂岩(「岩崎石」・「太田石」)は、興味あるところからも発見されています。
 
中世岩瀬湊調査研究グループ(代表奥村奨)が、富山商船高等専門学校と共同で、2003年から2004年に富山市四方沖350mの海底から引き揚げた大石の一つは、富山市科学博物館の鑑定で、高岡産の石灰質砂岩であることが明らかになっています。
 
周辺の地質から、これらの石材が自然に産出することはないので、人為的にこの地に運び込まれたものであることは明らかです。また分析していないもう一つの大石には大型の矢穴の痕跡が残っており、これも石灰質砂岩と推定されます。
 
矢穴割による砂岩の調達は、おそらく慶長10(1605)年以降、加賀藩支配のもとで行われたと考えられますので、富山藩領域にある四方沖の大石は、寛永14(1637)年富山藩成立以前に調達されたものと推定されます。
 
研究グループの見解では、四方沖には中世以来岩瀬湊と呼ばれる港町が発展していましたが、江戸時代以降の記録にみえる極度の海岸浸食によって海岸線が後退したことが明らかで、大石が引き揚げられたあたりは江戸時代前期頃に海岸汀線付近に復元されることから、大石は海岸護岸施設などに使われたものと推定されるということです。
 
その可能性が高いものの、海水準変動による見直し、石材曳航途中での落し物などの異説もあり、今後の研究の展開に興味がもたれます。
(古川)
四方沖海底引き揚げの矢穴石
四方沖海底引き揚げの矢穴石
  分析で高岡産砂岩と鑑定された大石
分析で高岡産砂岩と鑑定された大石