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「長岡御廟所御代々御墓並重臣ヨリ献灯姓名録」には、墓所の東縁部、三代利興墓参道の東側に、方形に張り出した一角があり、「勝姫命御墓」の墓域と記されています。
絵図で示された勝姫墓には、現在五輪塔形石造物1基と墓標2基が立っています。
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五輪塔形石造物は、空・火・水・地の4石を組み合わせ、地輪の下に反花+方形基礎1石、その下に方形基壇1石を置きます。五輪塔形式ですが、風輪を省略した4石の組合せとなっています。水輪には、東面に「南無妙法蓮華経」の題目銘文が陰刻され、この石塔が題目供養塔であることを示しています。
軸部となる地輪には4面に銘文が陰刻されています。南面は造立の目的、北面は供養者・願主・造立年を記しています。これにより文化9(1812)年の造立であることがわかります。東面・西面は経文で、「妙法蓮華経提婆達多品第十二」第81段(東面)、第82段(西面)から引用です。東面は左から右に読みます。
「献灯姓名録」では南面を正面と表現しています。軸部の銘文は、願意のある南面が正面と考えれば、東面の逆順表記の理由が理解されます。しかし現状の供養塔の題目銘文は東面にあります。これは後年の転落などで置き直された際、誤って東に向けられたことによると考えられます。
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勝姫は、8代利謙(1787年から1801年)の娘、9代利幹(1801年から1835年)の正室です。7代・8代ともに日蓮宗大法寺信徒であり、勝姫も日蓮宗に帰依していたため、日蓮宗院号を与えられたと推定されます。題目塔は日蓮宗における供養塔であることから、この推定を裏付けるものです。勝姫の法名は、「輪晃院殿圓智妙體大姉」で、文化8年9月27日没です(「富山侯家譜」)。家譜によれば墓所は江戸廣徳寺(練馬区・臨済宗寺院)に所在しているので、この題目供養塔は死去約半年後に造立されたものといえます。勝姫の墓所が江戸に所在する理由は、文化7年に利幹の江戸出府に伴い同行したが、1年半後の在府中に死去したためと考えられます。記録では廣徳寺には初代利次室、二代正甫室など18人の墓地が所在するほか、藩主の位牌が置かれました。 |
(古川) |
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勝姫供養塔 |
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供養塔軸銘文 |
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