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明治期に吉田有宣が作製した「御墓絵図」に描かれている藩主墓と比較します。この絵図には藩主墓を正面から描いた立面図と斜め上から見下ろした俯瞰図の2種類の図が載せられています。立面図には現在と同じように正面に神式の官位名、両側面に没年月日と「越中富山城主」という文字が描かれています。一方、俯瞰図には仏式の戒名が描かれており、俯瞰図は改刻前、立面図は改刻後の藩主墓を描いたものだと思われます。
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1.形・表現の比較 |
絵図に描かれる藩主墓の形は、立面図・俯瞰図共に基本的には現在と同じ形をしていることから、藩主墓の造立時から現在まで、形に大きな変化はなかったと思われます。しかし、改刻前の墓を描いたと思われる俯瞰図には現在とは少し異なる部分が見られます。初代墓を除いて墓標塔身の正面最下部、額下の部分に請花のようなものが描かれています。現在ではこの部分にそのような彫刻は見当たりません。しかし、注意深く観察すると、八代墓の額下の部分に何かを削り取ったような痕跡が見られ、その形が請花のように見えます。また、五・六代墓にも微かにそれらしき痕跡が残っています。絵図からは細かな形など詳しいことはわかりませんが、立面図には請花は描かれていないことから、銘の改刻が行われた際に一緒に失われた可能性が高いです。藩主墓を仏式から神式に改刻するにあたり、請花という仏式の表現も排除されたと思われます。
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2.寸法の比較 |
「御墓絵図」には藩主墓各部位の寸法が記されています。調査の進んでいる初代利次墓の寸法を比較します。
現在の寸法と絵図に記された寸法を比較すると、ほとんどの部位で誤差1cm以内となっており、明治期から現在まで寸法に変化はないようです。しかし、墓標笠部だけは現在の寸法が明治期よりも約10cm幅が狭くなっています。「御墓絵図」が作成された明治18年以降に何らかの理由で削られ、幅が狭くなった可能性があります。笠部をよく観察してみると正面と裏面では破風板の表現が3段になっているが側面にくると2段となり、1段少なくなっているのがわかり、両端の1段が削られたため幅が狭くなったと考えられます。加工痕などの確認はできておらず、どういう理由で削られたのかもわからないが、改変があったのは確かだと思われます。 |
(小林) |
初代墓寸法比較 |
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基壇 |
墓標台座 |
墓標塔身 |
墓標笠 |
下部長 |
上部長 |
高さ |
横幅 |
縦幅 |
高さ |
幅 |
厚さ |
高さ |
幅 |
奥行き |
高さ |
明治期 |
545.4 |
212.1 |
197.0 |
137.9 |
137.3 |
92.4 |
78.8 |
46.3 |
263.6 |
136.4 |
90.9 |
50.0 |
現在 |
546.5 |
212.1 |
196.0 |
136.0 |
136.0 |
92.0 |
79.4 |
45.8 |
266.6 |
126.0 |
93.0 |
49.0 |
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(単位:cm) |
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