『富山市考古資料館紀要』第13号 平成5年9月30日発行

小竹貝塚採集の動物遺存体

山崎京美

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1.資料について 3.同定結果a.貝類b.棘皮類c.魚類d.両生類・爬虫類 e.鳥類f.哺乳類
2.同定方法について 4.考察


1.資料について
小竹貝塚から今回検出された動物遺存体は、ふるいを用いて土壌から採集されたものであった。狭い範囲から採集されたものとしては、相当な量であり、しかも微小な骨を多く含んでいた。遺存体の保存は、極めて良好である。
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2.同定の方法
同定に当たっては、国立科学博物館古生物第3研究室所蔵の現生骨格比較標本を使用して行った。 カエル目の同定にあたっては関東高等専修学校野苅家宏博士に、有益なご教示をいただいた。ネズミ亜科、ハタネズミ亜科、齧歯目の切歯については国立科学博物館 古生物第3研究室冨田幸光博士に、ヒトについては同博物館人類学第2研究室溝口優司博士に同定していただいた。
学名は、貝類では奥谷編(1989年)を、棘皮類では内海(1990年)を、魚類では益田・他(1984年)を、両性・爬虫類では中村・他(1989年)を、哺乳類では今泉(1988年) を参照した。魚類の骨格の名称は、上野(1975年)、須田(1991年)に従った。計測にあたっては、スズキ属では赤沢(1969年)を参考にし、イヌ科の歯については、Driesch (1976年)、茂原(1986年)に基づいて行った。これら以外は最大値を計測した。
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3.同定結果
小竹貝塚から採集された動物遺存体のうち同定できたのは、貝類2綱1目1科1属1種、棘皮類1綱、魚類2綱8目14科11属7種、両生類1目3科3属1種、爬虫類1亜目、鳥類1綱、哺乳類5目7科8属8種である(第1表図版1から5)。しかし、同定できない遺存物の中には、関節を保有しているものや椎体、鱗等同定できなかったものも多く残っている。そのため、今後現生標本の充実をはかり、同定の精度を上げることによって、さらに多くの種を同定することが可能であろう。
以下、種ごとに述べる(第2表)。
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a.貝類
  サザエの蓋が1点、巻貝が8点、二枚貝が5点あるが、いずれも破片である。巻貝は殻頂部や殻底が残るものと、殻長1mm位の超薄質のものとがある。二枚貝のうち1点は表面に真珠光沢が残るが、他は主歯や筋肉付着痕等が保存されていない。いずれも、詳細は不明である。巻貝及び二枚貝とも表面が摩滅しており、種までは同定は難しい。
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b.棘皮類
  ウニ類の殻の破片が1点同定された。焼けて灰白色となっている。詳細は不明である。
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c.魚類
  (1)ネズミザメ目
    歯が1点同定された。内側面の歯冠長が1.4mm、外側面の歯冠長が1.9mmを計る微小な歯である。主咬頭の他に側咬頭が1対ついている。このような側咬頭のつくタイプはネズミザメ目に多いが、種までは同定ができなった。本資料は熱を受けているとみえ、色調が変化している。

  (2)ガンギエイ科
    微小な歯が2点同定された。歯冠の基底は円板状で、咬頭は細く高く、かつ舌側へ湾曲している。根尖は両方とも短く太い。このような特徴は、Rajidaeのものである可能性が高い。

  (3)エイ目
    尾棘が1点同定された。基部の破片でその最大幅は7mmである。背面には数条の深い溝が走り、両側縁には細棘がある。尾棘をもつエイ類には、ヒラタエイ科、アカエイ科、トビエイ科、ウシバナトビエイ科があるが(益田他1984年)、種までは同定できなかった。なお、尾棘基部は自然の状態であり加工した痕跡はないが、先端側の割れ口は摩滅している。 

  (4)軟骨魚類
    椎体の完全なものが34点と破片が8点ある。破片の中で、縦に割れた椎体断面を観察すると、その模様に2種類がある。また、椎体径と椎体長との関係では、後者の方が長いタイプと短いタイプの2種類がある。上述のネズミザメ目やエイ目のものであろうか。おそらく複数種の軟骨魚類の椎体を含んでいると思われる。

  (5)マイワシ
    環椎が6点、第2腹椎が4点、腹椎が168点、尾椎が43点同定された。真っ黒に焼けている骨もあるが、保存状態は極めて良い。

  (6)ニシン科
    本科に同定したものの中には、マイワシに似るタイプとマイワシと若干異なるタイプのものがある。腹椎が10点、尾椎が3点、腹椎か尾椎かの区別ができなかった椎体が8点ある。

  (7)カタクチイワシ
    環椎が9点、腹椎が232点、尾椎が200点、椎体が3点と、ニシン目の中では最も多く同定された。真っ黒に焼けている骨もあるが、マイワシやニシン科と同様、微小な骨ながら神経棘や血管棘の残るものもあり、全体として極めて良く保存されている。

  (8)アユ
    腹椎が5点と尾椎が21点同定された。尾椎には、焼けている骨が含まれている。

  (9)サケ科
    遊離した歯が5点と椎体のほぼ完全なものが1点、同破片が103点同定された。歯のうち1点は強大で鋭い歯を持ち、歯冠部が強く咽頭方向に湾曲している。完形の椎体は多孔性で微小孔が多く、神経棘と血管棘の付着部分に大きな凹みがある。横径が9.7mm、縦径が8.9mm、長さが6.8mmである。椎体破片は大部分が細片となっている(図版1−5)。これらの歯や椎体には、焼けて黒色あるいは灰白色に変化しているものもある。他の魚類の焼け方に比べ真っ黒に焼けた骨が多いようであるが、焼けていると判断した破片の中にはあぶった程度に若干色調の変化したものもあり、焼けていない破片との区別は難しかった。椎体の模様はシロザケに似るが、他のサケ科の現生標本と比較していないため属名までは同定できなかった。

  (10)フナ属
    主上顎骨は右1点、歯骨は右7点左2点、咽頭骨は左2点不明1点、遊離した咽頭歯は125点(フナ属?の4点を含む)、主鰓蓋骨は右4点左2点、頭部を構成する骨の破片は5点、第1鰭条は23点、フナ属?と思われる椎体は11点同定された。他に鰓蓋骨あるいは頭部骨の破片も多数ある。歯骨には歯骨長(左右顎骨の接合面から烏口突起の先端までの長さ)が3.8mmから16mmまでの個体があり、現生標本との比較からこれらの体長は5cm前後以上と推定される。右上顎骨も同じ大きさの骨があることから、フナ属には未成魚も含まれている。鰓蓋骨や頭部骨は表面に顆粒状の突起が並び、フナ属の特徴を有している。また鰭棘は背鰭あるいは臀鰭の第1鰭条で、後縁に鋸歯を具えており、表面には細い条溝が多数ある。この鰭条の中には非常に小型のものがあり、主上顎骨や歯骨の小型個体と同じサイズのものかと思われる。これらの中には焼けている骨を含んでいる。

  (11)コイ科
    主上顎骨は左1点、歯骨は右5点左7点、咽頭骨は右14点左10点不明4点、主鰓蓋骨は右1点、第1鰭条は19点、椎体は7点同定された。これらの中には歯骨長が4mm以下のものや咽頭骨長が4mmのもの、第1鰭条の最大長が3.3mmのもの、椎体長も1mm位のものを含んでいる。このことから、フナ属と同様、これらには推定体長が5mm前後の未成魚が多いと推定される。

 
  (12)スズキ科
    主上顎骨は右1点左2点、歯骨は右2点左2点、主鰓蓋骨は破片1点が同定された。歯骨高を計測すると、6.4mm、9.2mm、10.2mm、11.5mmである。

 
  (13)マアジ
    歯骨は右1点左2点、腹椎は14点、尾椎は29点(うちマアジ?3点)、尾鰭前椎体は1点、マアジと思われる稜鱗は181点、臀鰭第1・2棘と第1近担鰭骨が連結したものは3点同定された。須田(1991)を参考にすると、椎体としたものは腹椎の第3または第4のいずれかに属するものが1点、第5か第6腹椎が6点、第7から第10にはいるものが7点、尾椎の第1から第5までのものが11点、第6から第9までが7点、第10?と思われるものが1点に分類される。

 
  (14)クロダイ属
    前上顎骨は右4点左1点、主上顎骨は右2点、歯骨は右3点が同定された。計測可能な骨はない。

  (15)マダイ
    前頭骨は完形3点破片5点、上後頭骨は7点(うちマダイ?1点)、前上顎骨は右11点(うちマダイ?1点)左11点(うちマダイ?3点)破片3点、主上顎骨は右1点、歯骨は右12点左6点が同定された。

  (16)タイ科
    多くの部位骨が同定された。すなわち、前上顎骨は右7点左2点不明1点、主上顎骨は右破片2点、歯骨は右1点、遊離歯は1980点、角関節骨は右3点、方骨は左2点、舌顎骨は右2点、口蓋骨は右3点左1点、前鰓蓋骨は左1点、主鰓蓋骨は右1点、上神経骨は1点、背鰭第1棘と近担鰭骨が鎖状に連結したものは1点、腹鰭第1棘は右5点左2点破片4点、鰭棘は48点、環椎は1点、腹椎は5点、尾椎は23点である。これらの骨は、おそらくクロダイ属やマダイに帰属すると思われるが、属や種の区別はできなかった。

  (17)ベラ科
    顎骨が1点同定された。この骨は顎の前部に犬歯を2本持つが、1本は大きな歯で前方に突出し、1本はやや離れその先端は後方に湾曲する。このような顎の形態はベラ科の特徴であるが、属および種は不明である。

  (18)サバ属
    歯骨が左3点、腹椎が6点、尾椎14点、椎体破片が2点ある。

 
  (19)カツオ
    腹椎が1点と尾椎が3点同定された。

  (20)コチ
    前上顎骨の右が1点と環椎が1点あるのみである。

  (21)カワハギ科
    上顎や下顎にある外裂歯と内裂歯が10本同定された。なおカワハギ科は上顎に3本の外裂歯と2本の内裂歯が、下顎には3本または2本の歯がある。

  (22)フグ科
    顎骨が16点同定された。前上顎骨か歯骨かの区別はできなかった。

d.両生類・爬虫類
  (1)ヒキガエル
    仙椎が1点同定された。ヒキガエルはかなり大型で、他種の骨と容易に区別できる1)。ヒキガエルと同定できたのは、この1点のみである。

 
  (2)アカガエル属
    上腕骨が右4点左3点、仙椎が7点同定された。上腕骨で完形のものは、骨端が分離しており、若年個体であろう。アカガエル属の上腕骨は、肘頭痕が明瞭に見られることと、骨体の正中線上に滑車があることでアオガエル属と区別できる(野苅家1983から1984)。また、上腕骨の中には内側翼の発達した骨があり、これは♂と思われる。仙椎はアカガエル属の場合、椎体前面が凸状になることで区別できる。(野苅家1983から1984)。

 
  (3)アオガエル属
    肩甲骨の右2点左1点が同定された。アオガエル属の肩甲骨は、下肩甲稜が烏口突起の背面中央を走る点でアカガエル属と区別できる (野苅家1983から1984)。

  (4)カエル目
    烏口骨が左1点不明4点、同一個体と思われる。橈尺骨が左右2個体分と不明が3点、ふ(足へんに付)骨が左1点不明1点、大腿骨が不明1点、椎体が9点、指骨が3点、中手あるいは中足骨あるいは指骨が49点ある。橈尺骨には骨端の分離した骨があり、若年個体のものであろう。これらの骨の中には現生のアカガエルやヒキガエルに似る大腿骨や椎体があることから、上記したヒキガエルやアカガエル属、アオガエル属に含まれる体の骨であると思われる。

 
  (5)ヘビ目
    特徴のある椎体が2点のみ同定された。目以下の同定は困難である。
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e.鳥類
  左上腕骨と左脛骨、骨幹各1点、鳥類と思われる鎖骨、尺骨、骨幹の各1点がある。いずれも破片であり、また筆者には同定することが難しいため目以下の同定はできていない。
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f.哺乳類
  (1)ヒト
    哺乳類の中では最も多くの遺存体が検出された。すなわち、中切歯が左1点、肩甲骨が左1点、上腕骨が左(?)右各1点、尺骨が右2点、腓骨が左右各1点、膝蓋骨が左1点、腰椎が1点、椎体が1点ある。さらに、手を構成する骨として右有頭骨、右第5中手骨、右母指の基節骨、左第4基節骨、左第2指中節骨、左第3指中節骨、右第3または第4指中節骨、左第4指中節骨、第5指末節骨、母指以外の末節骨が各1点同定された。他に手の指の末節骨が2点ある。足を構成する骨としては、左右第2楔状骨、左立方骨、左右第1中足骨、右第2中足骨、左第4中足骨、左第5中足骨が各1点と母指以外の末節骨が2点ある。これら以外に基節骨1点、中節骨2点、長骨片1点、ヒトと思われる小骨片1点と不明破片が3点ある。これらの骨の中で性別が確認できるのは膝蓋骨で、小型であることから女性の可能性が高い。また年齢の判明した骨は左上腕骨で、骨端軟部が分離していることから、未成年のものと同定された。
また、特筆されるのは上顎中切歯で、これはエナメル質がかなりすり減っており、咬耗度はブロカの分類の4にあたる。縄文人に良く見られる極端な咬耗である2)。今回検出されたヒトの骨は手足の骨が多いが、いずれも重複する部位骨がないこと、また左右の骨が揃っている第2楔状骨や第1中足骨の大きさがほとんど同じであることから、1体分の骨が含まれていると思われる。しかし、上腕骨の骨頭には、未成年のものとそれよりも大きい成年のものと思われるものがある。
今回採集されたヒトには、少なくとも2体分の骨があるようである。
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  (2)テン
    第1大臼歯が左右各1点同定された。左の臼歯長は11.6mmである。

  (3)タヌキ
    下顎第3小臼歯(タヌキ?)と第4小臼歯の右が各1点、小臼歯の歯冠が1点、タヌキと思われる基節骨が1点同定された。

 
  (4)キツネ?
    キツネと思われる下顎第3切歯の右が1点、左尺骨が1点ある。

 
  (5)イヌ
    第3・4小臼歯と第1大臼歯の植立した上顎骨が右1点、この上顎骨と同一個体の上顎左第4小臼歯、左第1大臼歯が各1点、また上顎左第1大臼歯?、下顎第3小臼歯?の左右が各1点、下顎左第4小臼歯と下顎第1大臼歯の左右(同一固体)および下顎右第2大臼歯の各1点が同定された。なお、これらの歯の計測値は第3表のようである。同一個体の歯が多いこと、重複した歯が上顎第1大臼歯しかないことを考えると、ほとんどの骨が 同一個体に帰属すると考えられる。最小個体数は2個体であろう。

  (6)イヌ科
    頭頂骨の左1点と頭蓋骨の破片が70点ある。頭頂骨はイヌに似るが、頭蓋骨破片には厚い骨と薄い骨の2種類があることから、イヌや小型のテン、キツネ、タヌキが含まれている可能性がある。他に上顎右第4小臼歯が1点、小臼歯の歯冠破片が2点、イヌ科と思われる中手骨あるいは中足骨の遠位端が1点ある。

 
  (7)マイルカ科
    椎間板の小片が1点同定された。

 
  (8)イノシシ
    イノシシと思われる犬歯の破片と、左上腕骨の遠位部破片が各1点同定された。犬歯にはエナメル質部分に、前後方向につけられた数条の浅い溝がある。また、割れ口の一端にも同様の溝がある。加工途中かあるいは製作過程で廃棄された残片であろうか。また上腕骨には、遠位部の突起上部に細い鋭い傷があるが、これは筋肉を取り外した際につけられた傷と推定される。

  (9)ニホンジカ
    角の小片が3点と、脛骨遠位部の左右2点が同定された。右脛骨には、骨端の分離したものと骨端のみのものがある。なお左脛骨の1点には前面外側縁にイノシシと同様の筋肉取り外しと見られる傷が確認される。

  (10)ムササビ
    ムササビと思われる上顎犬歯の破片が1点のみ同定された。

  (11)ハタネズミ亜科
    第1・2大臼歯が植立する右下顎骨と第1・2・3大臼歯の植立する左下顎骨が各1点、大臼歯が2点ある。下顎骨は破損資料であるが、おそらく同一個体と思われる。

  (12)ネズミ亜科
    門歯や大臼歯の脱落した左右下顎が各1点と大臼歯が2点ある。下顎骨は同一個体と思われる。大きさはMussp.に似ている。

  (13)齧歯目
    同一個体と考えられる上顎切歯が左右各1点とそれと別個体の右1点左2点、下顎切歯が左6点、不明1点、上腕骨が左右各1点、同一個体とみられる大腿骨が左右各1点(右は骨端が骨幹と分離する)、脛骨が左2点(うち1点は齧歯目?)、寛骨が左右各1点、腰椎が2点(1点は齧歯目?)、尾椎が6点、右第1中手骨?が1点、中手骨が1点、中手骨あるいは中足骨が2点、指骨が2点ある。これらの骨は同一個体の部位を含んでいることから、おそらくネズミ亜科やハタネズミ亜科に属すると思われる。


 
4.考察
  小竹貝塚は1907年頃から注目され、その後数度にわたる調査や遺物採集がなされた(高瀬 1958年、岡崎 1966年、橋本 1972年、富山市教育委員会1974年、吉久・本江 1977年、富山県埋蔵文化財センター 1991年)。その結果、本貝塚は広大な規模を有する縄文時代前期中葉を主体とする貝塚であり、多彩な骨角器を始め各種の遺物を出土し、日本海沿岸の主淡貝塚として貴重な遺跡であることが判明した。しかし、動物遺存体についてはこれまで詳細な報告が行われず、わずかに吉久・本江(1977年)の報告があるのみである。そのため、ここに報告したものは採集資料ではあるが、今後、本貝塚の動物遺存体に関する基礎資料となると考えられる。

  ところで、今回の調査により最も多くの種類が同定されたのは魚類であり、次が哺乳類、両生類の順となる。また僅かながらサザエ含む貝類、ウニ類、ヘビ類、鳥類も検出された。これらのうちで個体数を推定できる部位骨で大雑把な最小個体数を求めると、コイ科の14個体が最も多く、次いでマダイの12個体、カタクチイワシの9個体、アカガエル属の7個体、マイワシ6個体、フナ属5個体、クロダイ属4個体、サバ属3個体、マアジ・アオガエル属・ヒト・イヌ・シカの2個体、ウニ類・ネズミザメ目・ガンギエイ科・エイ目・スズキ属・ベラ科・コチ・ヒキガエル・テン・タヌキ・キツネ・イノシシ・ムササビ・ハタネズミ亜科・ネズミ亜科の1個体の順となる。なお、椎体や歯のみ同定されたアユ、サケ科、カツオ、カワハギ科、フグ科は個体数算定が難しいが少なくとも1個体以上は含まれている。このように、今回はフナ属を含むコイ科とマダイやクロダイを始めとするタイ科が多く、また微小な骨ながらマイワシやカタクチイワシ、ニシン科、アカガエル属も多かった。これらは、他の大型の骨に比べても非常によく保存されている。さらに、今回同定できなかった魚類遺存体中には、小型種に属する骨も多く残されている。このようなことを考慮すると、今回の採集地点を発掘するならば、さらに多量の小型種を含む動物遺存体を検出することができるであろう。

  ところで、ここで今回明らかになった動物遺存体の内容と、過去に報告された内容とを比較してみると(第4表)、今回の動物遺存体の内容は、昭和47年採集時の内容(吉久・本江 1977年、富山県埋蔵文化財センター 1991年)とほぼ同じである。また採集された地点も、昭和47年調査では承水路の高圧線下より上流23mの川底であり、また今回承水路脇の14Pの南東と近い位置にある。この鉄塔と14Pとの間の承水路内は貝分布の限界と推定されていることから(富山市教育委員会 1974年)、この2回の結果は本貝塚北東の分布限界の様相を示すものと考えても大過ないであろう。今回の調査で初めて確認された種類は、ウニ類、エイ目、ガンギエイ科、マイワシ、ニシン科、カタクチイワシ、アユ、ベラ科、サバ科、ヒキガエル、アカガエル属、アオガエル属、カエル目、ヘビ亜目、テン、キツネである。これらの多くは微小な遺存体であり、昭和47年時にもふるいを用いた採集ではあったが、今回はさらに丹念に調査され、これまで発見できなかった遺存体を多数検出することができた。特にこれらの中で特筆されるのは、サケ科、ヒト、イヌである。

  サケ科は近年の調査の成果により、各地で検出されるようになってきた。今回は歯と椎体が同定されたが、昭和47年調査資料にも 椎体の完形品が報告されている(富山県埋蔵文化財センター1991年)。富山県下では、他からの出土例はないようである。近隣から出土した例としては、石川県赤浦遺跡(中期、サケ科椎体破片1点)(平口 1977年)、同県上山田貝塚(中期、サケ科椎体完形1点、
破片)(松井・平口 1979年)がある。松井(1985年)はサケ科の検出例を分類して、石川県以北の日本海沿岸部を、椎体の破片が多く、完形の椎体やその他の部位の出土の稀なbグループに分類した。そして、このグループの保存処理法として、頭をおろした後に2枚におろしたものであろうと推定した。しかし、今回は歯も検出されていることから、松井の分類とは若干異なっている。サケ科の骨は焼けていたものが多かったが、他の種でも焼けている骨が確認されることから、特にサケ科のみ調理法に関わる特別な焼け方をしているようには見られなかった。
  次に、ヒトは昭和46年にB地点で屈葬人骨が発掘されていることから(橋本 1972年)、今回で2例目となる。昭和46年時に発見された 場所は、範囲確認時の14Pと鉄塔の間の承水路内であった(富山市教育委員会1974年)。人骨の調査結果によると、これは男性1体分であり、かつ現代北陸日本人よりも他地方の縄文時代人に類似することが指摘された(林・溝口1985年)。今回採集された人骨は、同一個体の骨を含む2体分と思われるが、女性の可能性がある膝蓋骨が検出された。そうすると、本貝塚には男性と女性を含む複数個体が存在することが明らかとなった。
  また、イヌは昭和33年と昭和47年にも発見されている。昭和33年発見のイヌは、高圧線鉄塔工事中の採集品で、頭蓋骨および それと同一個体の右下顎骨があり、これは小形犬とされた(飛見1959年)。また、昭和47年度発見分については、承水路川底採集品で、上顎骨、下顎骨、大腿骨、脛骨が報告された(吉久・本江 1977年、富山県埋蔵文化財センター1991年)。今回のイヌは発見された場所も異なることから、本貝塚においては3ヶ所でイヌが発見され、少なくとも3個体以上埋存していたことが判明した。今回のイヌを昭和33年発見のイヌ、県内の他遺跡の縄文犬および現生柴犬と比較してみると(第3表)、今回のイヌは飛見の報告したイヌよりよりもサイズが小さく、柴犬の♀と同じ位かそれよりも若干小さい。また、下顎骨では大境洞窟(氷見洞窟)例に近い大きさである。一方、飛見の報告例は柴犬よりもさらに大きく、柴犬と大境洞窟のオオカミとの中間の大きさである。このように、これまで本貝塚から出土したイヌにはサイズにやや大型のものと小型の2型が存在するようである。
 
以上のように、今回採集された動物遺存体は小竹貝塚人の生活を復元する上で、貴重な資料であることが判明した。なお、イノシシとニホンジカの中には、例えばイノシシでは犬歯に加工痕がみられ、上腕骨には筋肉を取り外した際の傷が付いていた。またニホンジガの脛骨にも同様の動物解体の際についたと考えられる傷があった。今回はイノシシやニホンジカの遺存体は僅少であったが、今後すでに発見されている両種の骨を観察することによって、当時の縄文人の動物の取り扱いや骨角器製作の過程などを復元することは可能であろう。

  ところで、今回の動物遺存体の内容から当時の環境を推定してみると、淡水に棲む種類にはコイ科、フナ属、アユ、また成長段階によって淡水と海洋を棲み分けるサケ科がある。沿岸に棲む種類にはネズミザメ目、エイ目、ガンギエイ科、マイワシ、ニシン科、カタクチイワシ、スズキ属、マアジ、クロダイ属、マダイ、タイ科、ベラ科、サバ科、コチ、カワハギ科、フグ科がある。さらに内陸に棲む種類として、ヒキガエル、アカガエル属、アオガエル属、カエル目、ヘビ亜目、鳥類、ヒト、テン、タヌキ、キツネ、イヌ、イノシシ、ニホンジカ、ムササビ、ハタネズミ亜目、齧歯目がある。このように、本貝塚人が獲得した動物の生息地からみると、縄文人の主な活動領域は淡水域、沿岸、内陸に大きく分けられる。ただしカエル類やネズミ類は体の各部の骨が検出されていることから、あるいは縄文人の食糧残滓ではなく、貝塚に紛れ込んだのかもしれない。

  特に、魚類から当時の人間の活動域を復元してみると、今回の動物遺存体の中では魚類が最も多く、中でもフナ属を含むコイ科とマダイやクロダイなどのタイ科が多かった。そうすると、当時の人々の活動場所の中心は淡水域と外洋の両水域と考えられよう。そして、そこでは釣針や刺突具による漁法ばかりでなく、体長5cm前後のフナ属やコイ科、またマイワシやカタクチイワシなどの小型魚を捕獲できる漁法(例えば網や各種の捕獲装置など)も存在したと推定される。

  ところで、小竹貝塚については地質学の研究成果により、放生津潟の歴史的変遷を知る貝塚として取り上げられてきた。そして、例えば縄文時代前期はシジミ−タニシの時代として、貝塚は古放生津潟に面していたと推定されたこともある(藤井1964年)。また、貝塚の貝層構成貝種からは、第2貝塚は前期中葉を主体としオオタニシを多く含み、第1貝層は前期後葉を中心としたシジミが主体であることが明らかになった(橋本1972年)。前期中葉から後葉にかけて貝塚周辺水域に変化のあったことが推定される。本貝塚の貝類にも9割を占める淡水産貝の他に鹹水産具が若干あるが、魚類では淡水性と外洋性の両方が多かった。今回は採集資料であるため明確なことはいえないが、本貝塚周辺の水域は、これまで貝類のみから指摘されたような純淡水の潟であったのではなく、外洋水も入ってくる環境があったのではないだろうか。本貝塚に隣接する蜆ヶ森貝塚は前期後葉に属するが、ヤマトシジミ主体で魚類ではサメ類、アカエイ、ボラ、マグロ、カジキ、ブリ、スズキ、クロダイ、フグが報告されている(酒詰 1961年)。もちろん、採貝場所と魚取りの場所が相違する可能性はあるとしても、本貝塚および蜆ヶ森貝塚について貝類のみでなく、魚類を含めた動物遺存体全体から、再度海進海退に関わる古放生津潟の変遷についての議論が必要なのではないだろうか。
 
今後は、大規模な面積を有し、多彩な遺物を出土する本貝塚の内容や文化的背景を明らかにするためにも、海進海退論や生業の解明に向けて基礎資料を整備していく必要があろう。



謝辞 
本稿を作成するにあたり、分析の機会を与えて下さった邑本順亮氏、同定に際して骨格標本をお貸し下さった上野輝彌博士、同定して下さった冨田幸光博士、溝口優司博士、またご教示をいただいた野苅家宏博士には大変お世話になった。これらの方々に、心から厚くお礼申し上げる。


 
註1)野苅家 宏氏のご教示による。
註2)溝口優司博士のご教示による。 
 
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