米田大覚よねだだいかく遺跡

2 中世の屋敷跡と銅製花瓶けびょう
(富山地域)
平成20年度の調査
平成7・8年度の調査区の南西側においては、古代の井戸・溝などや中世の土坑・溝を検出しました。中世の溝は「L」字状や「コ」字状に屈曲しており、屋敷地を区画する溝と推定されます。
土坑内から写真の銅製花瓶が、ほぼ完全な形で出土しました。
 
 
銅製花瓶とは
仏器の一器種で、「三具足(香を焚く香炉こうろ、明かりを灯す燭台しょくだい)」の一つを構成するもので、花を挿して供える立花器です。
市内では、中名なかのみょうT・X遺跡(12世紀から16世紀の集落)から亜字形あじがたの銅製花瓶、任海宮田とうみみやた遺跡(13世紀から15世紀の集落)から花瓶ではないが三具足のひとつである銅製燭台が出土しています。
銅製花瓶
銅製花瓶
 
 
出土した銅製花瓶
胴部が俵形で、口縁部がラッパ形に開くさかずき形と呼ばれる形態です。口径12.8cm、器高21.7cm、底径8.8cmです。
脚部の内側には、厚さ約1mmの板の仕切りがはめ込まれ、この板には仏像の一部が線刻されていました。
 
 
日常的な仏具の使用
底面の線刻仏画
底面の線刻仏画
花瓶は仏具であり、寺や墓などで使われるが、本遺跡では中世寺院と考えられる遺構は検出されていない。
屋敷地に住んだ有力者が、日常的に仏教に接せられる場を作り、そこでこの花瓶を使用していたと推定されます。 
(堀内)
 
 
関連項目
  米田大覚遺跡 1 古代越中国の新川郡家