千石町せんごくまち遺跡

まちなかから見つかった弥生時代の墓
(富山地区)
 
千石町遺跡は中心市街地南部の千石町地内にあります。
これまでの調査で、室町から江戸時代を中心とする集落跡が確認されていました。平成27年の宅地造成に先立つ調査では、それよりも古い時代の弥生時代中期(紀元前2世紀後半頃、約2100年前)の方形周溝墓ほうけいしゅうこうぼ5基を検出しました。
調査区全景(北東上空から)
調査区全景(北東上空から)
調査区全景(北東上空から)
調査区全景(北東上空から)
 
 
弥生時代中期の方形周溝墓
富山県内における弥生時代中期の方形周溝墓は27基あり、これまで県西部のみで確認していました。今回初めて富山市中心市街地から見つかったことで、この時期に方形周溝墓という墓制度が県東部にまで伝わっていたことが分かります。
県西部の方形周溝墓は、標準的な大きさが長辺6mから8m、短辺6m前後の正方形か長方形です。千石町遺跡の1・2号墓は長辺が9m台で、県内では2番目の大きさです。
方形周溝墓より出土した紀元前2世紀後半頃の弥生土器
方形周溝墓より出土した
紀元前2世紀後半頃の弥生土器
周溝にはとむらいの儀式で供えた弥生土器がありました。
土器はすべてに同じ年代に作られたものであることから、墓は短期間に造営されたと考えられます。
 
 
弥生時代中期の地形
今回の調査地から南西へ100m地点で、地下6mから弥生時代中期(約2300年前)の洪水で流され河川跡に埋没した樹木6本が発見されました。
今回の調査地は当時、安定した高台部にあたります。この地点の北側から今回の調査地にかけては当時高台部であり、弥生時代中期の洪水で河川が埋まり広がった平野に居住地を求めた人々が、安定した高台を墓域として選んだと推測されます。
埋没樹木の出土地と旧地形復元
埋没樹木の出土地と旧地形復元
 
 
関連項目
  富山市考古学NOW 千石町地内出土の埋没樹木
 
 
関連書籍(表紙をクリックすると全国遺跡報告総覧のホームページが開きます)
富山市内遺跡発掘調査概要15   千石町遺跡発掘調査報告書   千石町遺跡発掘調査報告書 写真図版編
富山市教育委員会 2015
『富山市内遺跡発掘調査概要]X』
  富山市教育委員会 2015
『千石町遺跡発掘調査報告書』
  富山市教育委員会 2016
『千石町遺跡発掘調査報告書
写真図版編』