金屋南かなやみなみ遺跡

2 提子に納められた鏡と刀
(富山地域)
金屋南遺跡は、平安時代(10世紀)、鎌倉から室町(12世紀から15世紀)に井田川の西岸に営まれた大規模集落です。室町時代には鉄鍋や梵鐘などの鋳物生産を行っていました。いらなくなった鋳型や炉璧、焼土、鉄滓、炭などは川に捨てられました。
 
調査地の東側には河川跡(井田川)があり、川べりで鉄や銅をとかす溶解炉が見つかりました。溶解炉は地下構造の部分だけが残っていました。一度使った炉璧を円形状に地面に埋め込み、内部には細片となった炉壁を平らに敷き、上に粘土を貼っています。川べりでの操業のため、湿気を防ぐ施設を作ったものと思われます。炉の周囲には、川の斜面を利用して炉璧・鉄滓・鋳型・炭などが廃棄され、厚く堆積しています。その広がりは34m×15m、深さは2m近くありました。鋳型には、鉄鍋や梵鐘などがみられます。一緒に見つかった土器の年代から、溶解炉の操業期間は15世紀と考えられます。
河川跡の中からは,銅製提子(酒をそそぐ容器)が出土しました。提子の中には、太刀の部品が敷き詰められ、白銅製の鏡が上に置いてありました。提子は直径19cm、高さ8cmのもので、つり手には三連の花菱亀甲文など文様が彫られており、15世紀のものと考えられます。
銅製提子
鏡 鏡は、直径11.4cm、縁の厚さ0.8cmの「洲浜秋草双鳥鏡」で、鏡背(文様部分)には萩・女郎花・桔梗のなかに男女を表す雀が2羽配置されています。14世紀前半に京都の鏡工房で製作されたものです。鈕の横には角釘状のもので穴があけられており、鏡の持つ呪術性を失わせていると推測されます。
太刀の部品
 
太刀の部品には鐔と重ね合わせる「切羽」(大切羽、小切羽の2種類)・帯をまとめる「七ツ金」・柄の先端の「縁頭」がありいずれも14世紀前半に製作されたものです。「縁頭」や「七ツ金」には丁寧に鳥が彫られているものもあります。鏡や太刀の部品は伝世され、15世紀にまとめて提子に入れられたと思われます。
 
このような調査結果から、当地には大規模な集落が形成され、15世紀には鋳物生産を大々的に行っていたことが明らかになりました。「金屋」という地名の由来につながると推定されます。また、鏡や太刀の部品が銅製提子に入れられ、まとまって出土した類例はなく、全国的にも貴重な発見です。その意味合いについては川への埋納や、鋳つぶして再利用しようとした等様々な解釈が考えられます。
 
 
関連項目
  金屋南遺跡 1 金屋の地名の始まりか、中世の大規模集落跡
  金屋南遺跡 3 雨乞い儀式との関連性? 馬歯出土