百塚(ひゃくづか)遺跡

旧神通川沿いの縄文遺跡
 (富山地域)

この遺跡は富山市百塚地内、呉羽丘陵北東端の長岡台地(標高約20m)に位置する縄文時代の遺跡です。長岡八町遺跡の東方約1.4kmに位置し、神通川寄りの集落として縄文時代後期後半から晩期に栄えました。

発掘調査では縄文時代晩期(約2700年前)の遺構(土坑)を5基、弥生時代から古墳時代の墓を25基検出しました。竪穴住居跡は検出されませんでしたが、古墳の周溝などから縄文時代各時期の土器や石器などが出土しています。出土遺物の多くが、打製石斧や磨製石斧、石錘などの石器であることから、百塚遺跡を残した縄文人は植物性食料の採取や木器製作用の木材採取・加工、川魚漁を主たる生業としたと考えられます。

また、地元の土器だけでなく、石川県や岩手県の遺跡で出土したものと同様の特徴をもつ土器も見つかりました。模倣または搬入品と考えられ、遠隔地とも交流が活発だったことがうかがえます。

地層の堆積状況を分析したところ、縄文時代の土器などを含む黒色土と弥生時代後期後半の墓の間に、旧神通川(古古川)の黄褐色砂質土が堆積したことがわかりました。旧神通川下流域では縄文時代晩期後半から弥生時代後期後半にかけて断続的に旧河川から水の影響を受けていたと推測でき、それが人びとの活動痕跡を不明瞭にさせる要因の一つと考えられます。

関連項目北代縄文広場ミニ企画展「百塚遺跡」!