開ケ丘ヤシキダ遺跡は開ヶ丘の平坦部に位置する、平安時代前期(約1150年前)の集落です。平成14年度の調査で、掘立柱建物8軒・竪穴住居6棟・土師器焼成坑4基・製炭土坑2基・道路遺構などが確認されました。 |
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遺構検出状況 |
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土師器焼成坑から土器が出土した様子 |
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平安時代ごろ、土師器は直径1から2m程の土坑の中に土器を並べて、藁や灰土をかぶせて焼く"覆い焼き"という方法で焼かれていました。土師器焼成坑からは、焼成に失敗し捨てられた甕・鍋などの煮炊用の土器が多く見つかりました。この遺跡では煮炊具を専門に生産していたと考えられます。 |
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同時期の土師器焼成坑が見つかった遺跡は周辺に2ヵ所(向野池遺跡・ガメ山遺跡)あります。隣接する開ヶ丘中遺跡でも、本遺跡より少し後の時期の土師器焼成坑がみつかっています。 |
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長胴甕 |
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甑(こしき) |
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本遺跡と開ヶ丘中遺跡は、ほぼ同じ時期に集落が形成されていました。開ヶ丘中遺跡の竪穴住居群の中心を通るように道路があり、それは本遺跡で見つかった道路につながっていると推定されます。集落の内容も類似する点が多いことから、これら2つの遺跡は同じような性格をもつ一連の集落で、東側に隣接する中山奥池の東岸に沿って営まれていたようです。 |
(埋蔵文化財センター所報No.4「富山市の遺跡物語」より) |