開ケ丘中遺跡は、開ケ丘のほぼ中央に位置しています。これまでの調査で、奈良時代から平安時代(約1200年から1100年前)にかけての掘立柱建物跡9棟、礎石建物跡1棟、竪穴住居跡31棟、土師器焼成遺構2基などを確認しました。遺構は丘陵の東斜面中ほどにある帯状の狭い平坦地に密集していました。 |
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掘立柱建物と礎石建物は丘陵斜面を削って平坦に整地した部分に造営されていました。礎石建物は雨落ち溝(排水溝)を伴い、一番大きな掘立柱建物(5.3m×7.6m)とともに集落の奥まった場所にありました。 |
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出土した遺物には瓦塔・相輪(仏塔の屋根の頂につける尖塔)・須恵器鉢・水瓶などの仏具や漆紙、「田」と線刻された石、転用硯など仏教色の濃いものがあります。これらは小規模な山寺と想定される礎石建物の周囲から出土しています。出土した須恵質の相輪は九輪の一部で、実際の建物に使用されたものと考えられます。瓦塔は、屋蓋(屋根の部分)と斗きょう(軒下にあり、斗と肘木などの部材を組み合わせた部分)があり、屋蓋部分は本遺跡から東へ1kmにある向野池遺跡のものと同様の型式であることから、本遺跡と深い関連があると考えられます。 |
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竪穴住居群は掘立柱建物跡・礎石建物の後で作られたもので、山寺が廃寺となったあと丘陵周辺の工人たちが居住地として使用したものと考えられます。各住居は密集して所在し、何度も建て替えられた跡が確認されました。 |
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開ヶ丘中跡東区 全景 |
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