平岡遺跡は、呉羽山丘陵南西部、標高約60mの丘陵上に広がる、縄文時代前期後葉(5500年前)を中心とした集落遺跡です。
昭和26年発行の森秀雄著『大昔の富山県』に既に登載されており、古くから縄文時代の遺跡として知られていました。 |
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遺物は、ていねいに加工された石鏃・石錐・石匙などが多く、中でも石鏃は、栗山邦二氏の採集されたものだけで1000点以上あり、県下でも最多の出土数です。
石器に使われている石材は、鉄石英・頁岩・黒曜石・安山岩・下呂石などさまざまな種類があります。このうち黒曜石の産地は、蛍光X線分析(望月明彦氏)により、長野県諏訪星ヶ台群(旧霧が峰系)が約9割、和田峠が約1割という結果が出ています。 |
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また、滑石や蛇紋岩を使ったけつ状耳飾や管玉など装飾品も現在までに100個程度が採集されています。これらの装飾品には未製品や原石がみられないことから、装飾品は別の場所で製作され、平岡遺跡に運び込まれたと考えられます。 |
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道路新設に先立ち行われた平成21年度の試掘調査では、縄文時代前期の遺構の上に、奈良・平安時代の遺構が確認されました。本遺跡の西400mにある平岡窯跡を操業していた人々が暮らしていた可能性があります。 |
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周辺一帯の丘陵上には、二本榎遺跡など縄文時代の遺跡が数多く分布しており、人々は縄文時代前期から後期にかけて、場所を変えながら生活していたと考えられます。 |
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遺跡付近には現在も豊かな森林が広がり、幾筋もの谷が東の富山平野に向かって延びています。縄文時代の人々にとって、快適に生活できる空間であったことでしょう。 |