●遺品名 砲弾(八八式七糎野戦高射砲) ●所有者・住所 山下都さん(78)富山市 ●保存(発見)場所 自宅 ●当時の状況空襲時は八尾町の親戚宅に母、4歳上の姉と疎開。富山市中心部が真っ赤に燃えていたのをよく覚えている。祖父が「これは爆弾だ」と言い、床の間に飾っていた。
●遺品名 防空絵とき ●所有者・住所 若林泰山さん(62)射水市 ●保存(発見)場所 射水市か高岡市の住宅 ●当時の状況10年以上前に、回収した古紙の中から発見。1942年11月発行の「内務省推薦 防空絵とき」とみられ、空襲時の火の消し方などを解説している。
●遺品名 防空頭巾 ●所有者・住所 吉﨑喜久雄さん(69)魚津市 ●保存(発見)場所 母の自宅 ●当時の状況8年前に発見。母・はつゑさん(2013年6月他界、享年100)は富山市岩瀬の工場に勤務していた。母は4回転居したが、ずっと防空頭巾を持ち続けていた。
●遺品名 溶けたくぎの塊 ●所有者・住所 島田和子さん(69)富山市 ●保存(発見)場所 自宅 ●当時の状況高さ20センチ。疎開していた母から「空襲後に自宅跡地に戻った時に、くぎ箱が置いてあった場所で見つけた」と聞いている。
●遺品名 空襲警報、警戒警報発令看板 ●所有者・住所 清水義夫さん(77)富山市 ●保存(発見)場所 泉花寺 ●当時の状況看板は横20センチ、縦さ約82センチ。一方の面に朱色の背景に白文字で「空襲警報発令中」、もう一方の面には青色の背景に白文字で「警戒警報発令中」。戦時中に富山市の泉花寺で掲げられていた。
●遺品名 罹災した猪口(ちょこ)、杯 ●所有者(寄贈者) 富山市郷土博物館(畠山良平さん) ●当時の状況土蔵の中で被災。受けた火力や熱量の違いによって、被害の度合いが異なっている。高さ3.2~5.6センチ。
●遺品名 M17型集束焼夷弾容器の尾翼部 ●所有者・住所 富山市埋蔵文化財センター ●保存(発見)場所 富山城址公園(富山城跡) ●当時の状況M50型焼夷弾を110発収めていた集束焼夷弾容器の尾翼部分。鉄製で、高さ約29センチ、重さ6.5キロ。
●遺品名 M50型焼夷弾 ●所有者・住所 富山市埋蔵文化財センター ●保存(発見)場所 富山城址公園(富山城跡) ●当時の状況写真上(長さ27センチ)と写真右は焼夷弾の筒状金属容器。中に燃焼剤が充填され、地面などにぶつかり発火する仕組みになっている。写真下は焼夷弾の先端部分にあたり、鉄製で重さ518グラム。
●遺品名 熱で溶けた硬貨(1銭、5銭、10銭など) ●所有者・住所 四谷善造さん(89)富山市 ●保存(発見)場所 自宅 ●当時の状況富山大空襲被災は17歳のころ。旧制富山商業高校に通っていた。空襲時は母親がお金や株券などを持って逃げ出したことを覚えている。
●遺品名 防空頭巾
●所有者・住所 成瀬希美子さん(73)富山市
●保存(発見)場所 自宅(令和4年秋に発見)
●当時の状況母・翁 嘉代子(おきな かよこ)さん(2023年2月他界、享年98)は富山市内の郵便局に勤務していた。この防空頭巾は、空襲警報のたびに重要書類を郵便局から持ち出し、焼失を防ぐために使っていた。富山大空襲の際は疎開しており、使用することはなかった。