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mark.gif 第三十七号
平成12年1月31日
収蔵品紹介  ●年頭のご挨拶



収蔵品紹介
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spacer.gif『雲龍図』 山下守胤
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 山下守胤(やましたもりたね)は富山藩の絵師で、幕末に活躍しました。(詳しくは「博物館だより第30号」参照) 雲間を縫うように、天へ向かって真っ直ぐに昇っていく様子が大胆に描かれています。
 今年は辰年。何かと暗い話題の多い昨今、この龍が今年の象徴となることを願って・・・

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 現在、”正月”といえば一般的に3ケ日のみを指しますが、本来”正月”とは年の始めの月、つまり1月そのもののことを指すのです。また、江戸時代まで使用されていた暦、つまり旧暦での正月は、新暦では2月初旬。立春も近く、当時の人々は新年とともに春を迎えられることを祝ったのです。というわけで、今回は「年頭の挨拶」について取りあげてみましょう。

 「年頭の挨拶」といえばお年始。現在は他の家を訪問して祝賀の挨拶を述べる、お年始まわりが一般的ですが、本来は本家に一族が集まって年を越し、祖霊や歳神を祀り迎えるものだったようです。
また、公家や武家の社会では、それぞれ朝賀(ちょうが)や惣登城(そうとじょう)など新年の御礼対面の行事が催されました。

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 これは、富山藩士の加藤家に伝来した文書です。加藤家は代々前田家に仕え、要職についた家柄でした。この文書は、年頭の挨拶として太刀・馬代を届けられたことへの礼状です。礼状を出したのは”出雲”で、これは富山藩11代藩主利友のことです。礼状を受け取ったのは加藤外記、これは加藤家の11代当主直敬です。年の始めに家臣が年頭の挨拶をするとともに、藩主に祝儀を献上したのです。
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藩主が富山在住の年は、取次を介して主要な家臣やその嫡子、諸寺社・町医者・十村などが藩主に謁見しました。
一方、江戸在住の年は、藩主が江戸城へ登城し将軍に謁見しました。

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 年頭の挨拶といえば年賀状。年賀状とは、本来、直接来訪面会して年始の挨拶をするべきところを略式に書面にて済ませたものです。ですから、年賀状は現在のように年末に書いて、元日に相手に届くというものではなく、正月に書いて届けるものだったのです。そのため、年賀状が2月に届くということもめずらしいことではありませんでした。
 さてここからは、当館所蔵のいろいろな年賀状をご紹介しましょう。

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 これは江戸時代の商家密田家に宛てられた年始状です。
和紙に毛筆で書かれたもので、「新年之御吉慶目出度申納候」と冒頭にあります(”しんねんの ごきっけい めでたくもうしおさめそうろう”と読みます)。「明けましておめでとうございます」というようなものです。現代の我々からすると、何とも難しいご挨拶ですね。
 
3704.jpg 密田家は江戸時代から代々売薬を営んだ家で、近代以降は金融業や電力関係など様々な方面に活躍しました。


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 明治以降になると、はがきによる年賀状が登場します。これは明治34年に岩瀬商会に出された年賀状です。まだ年賀専用はがきというものはなく、一般のはがきを使用しています。当時のはがきは現在ものより一回り小さく、料金は1銭5厘です。郵便番号もありません。現在のものと比べてみるとその違いがよくわかります。
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<左>
明治時代の年賀状
<中>
明治34年と平成12年の年賀状 
毛筆で書かれたものと宛名ラベルの印刷の違い
<右>
明治34年と平成12年の年賀状の消印
明治34年の消印は「能登七尾 丗四年一月一日」と書かれており、文字は右から左へ読みます。ちなみに平成12年の年賀はがきは、消印が復活し「富山中央12 2000.1.1年賀」と入りました(取扱い郵便局名は個々に異なります)。

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 大正10年の「年賀郵便特別取扱」によると、12月15日から同29日までの間に、「年賀郵便」と書いた紙札を付けて1束とし、最寄りの郵便局へ出せば1月1日の消印を捺し、新年早朝から配達すると書かれています。現在とほぼ同じ形式ですね。 3708.jpg



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 これは引札とよばれるもので、現在でいう商業広告です。宣伝用に得意先に配られました。特に正月用に配られたものが多く、これらは年頭の挨拶状でもありました。色は非常にカラフルで美しく、絵柄は宝船や七福神などのおめでたいものや略暦などが使われました。右の引札は廻船問屋の宮城家に残されたものです。 3709.jpg


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 戦時中に、戦地から出された年賀状もあります。戦中は軍事機密が漏れるのを防ぐ為、郵便物は検閲を受けていました。このはがきにも「検閲済」の朱印が捺されています。昭和15年に中国から出されたものです。検閲を受けるということは、不都合なことが書いてある場合は、その箇所を墨で塗りつぶしたり、書簡そのものが廃棄されてしまうということです。かし、家族にとっては、無事に新年を迎えることができたことを知るたよりの到来は、さぞうれしかったことでしょう。
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検閲済の朱印が捺されている


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 次は昭和29年に開催された富山産業大博覧会の宣伝用年賀はがきです。「謹賀新年 富山博 今春4.11→6.4 皆様おそろいで富山博へ」と書かれています。富山博は、現在の城址公園で開催された博覧会で、当館はこの際に建設されました。 3712.jpg

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 ちなみにお年玉付き年賀はがきの登場は昭和24年12月1日のことです。戦後の混乱期に郵便利用を活発化するために考案されました。なお、クジの景品は特賞がミシン、一等が純毛洋服地でした。





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