近世富山町の食文化 |
まず、出土した骨・貝殻について、出土資料の傾向を江戸時代中期の料理書『黒白精味集』の食材の格付けと比較すると、格付けで「下」とされるものから「上」とされるものまで幅広く出土しており、特に「上」とされるものが多く出土しています。 |
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また、種実類については、資料数が少なく、資料採取方法の違いによる偏りが大きいため、単純に評価することはできませんが、ウリ類の多出は注目されます。出土した野菜、果物類の面から近世富山の食文化を特徴づけるものとして、ウリ類の多用を上げることができるでしょう。 |
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食器類、料理道具については、碗、皿、鉢や擂鉢が組成の多くを占めます。碗、皿、鉢を用いて食事が提供され、また擂鉢を用いた練物や和え物等がよく作られていたことがうかがわれます。 |
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以上のことから、特に江戸後期の富山においては、シジミ、イワガキ、マダイ、タラといった上物の魚貝類やウリ類を用いた料理が碗、皿、鉢を用いて多く提供され、擂鉢を用いた練物や和え物等もよく作られていたと考えられます。 |
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江戸時代には、武家や公家、町人といった様々な社会階層が存在しました。このような社会階層の違いが、どのように出土遺物に反映されているかという点については、これまでに、関西において、陶磁器、土器類の出土量や輸入陶磁器等の高級品の出土傾向に階層による違いが見られることが指摘されているほか、近世京都では、特に魚介類について住人の階層により利用されている種類が異なることが指摘されています。 |
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近世富山町について、出土した食材の様相を見てみると、魚貝類、鳥獣類は、武家地の資料数が少なく住人の階層による違いは明確に捉えられませんが、種実類は武家地でウリ類を除く果物類、野菜類とヒエ等の雑穀類が少ない傾向にあります。骨や種実類は資料の大きさが小さく、地点ごとの資料採取方法の違いを加味する必要がありますが、この点については住人の階層差による食文化の違いを示す可能性があります。 |
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また、食器類、料理道具については、大まかな器種構成の点で各地点とも大きく変わりませんが、大きさや火処(ひどころ)類の出土傾向と言った点で住人の階層による違いが認められます。特に食器類の大きさの違いについては、大きな器に盛られた料理を銘々で取り分けて食する庶民の食事のあり方と一人一人の食事が取り分けられた状態で提供される武家の食事のあり方の違いが反映されていると考えられるほか、武家の中でも城内に暮らす家老・重臣級の武士層は大皿や大鉢を用いて引き回しで料理を提供することがあったと考えられます。また、茶道に用いる道具である天目茶碗の出土が城内の武家地に偏る点は、家老・重臣級の武士層で茶道がより盛んであったことを物語るといえます。 |
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この様に、階層差に注目して近世富山町の食文化を出土資料から見ると、資料の出土傾向に階層間の違いが見られ、特に食器類、料理道具で明らかです。近世富山町の食文化は、特にその調理方法、提供方法の点で階層ごとに異なったあり方を取っていたと考えられます。 |
(納屋内) |
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