本丸鉄門石垣には、2ヵ所に星形の大型刻印があります。
A地点 |
本丸鉄門東石垣の中段の角石西面(通路側)に1つ |
B地点 |
本丸鉄門西石垣の堀角の南面に2つ |
の計3つが確認されています。いずれも石面一杯(約50cm)の大きな刻印です。
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このような石面いっぱいの大型刻印は、「金沢穴生」の金沢城石垣編年の照らし合わせると、寛文年間頃の年代の特徴であることがわかります。この年代は、富山藩が幕府の許可を得て、富山城の改修を行なった時期にあたります。
このことから、この刻印は、初代藩主利次が石垣改修にあたって新たに彫り込んだものであることがわかります。
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B地点の大型刻印は、角石の大面・小面を意識せずに、南の面に彫られています。これは、石積を行った後に、南を意識して彫られた可能性を示します。
現存する刻印石は、いちばん上(天端)の石から、8個目と、15個目にあります。間には6石が介在しています。
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そうすると、計算上、8個目の上に6石を置いた上は最上段の天端石になり、15個目の刻印から6石を置いた下は、天端から12.1m底の基礎の石(根石)に該当することになります。
根石に刻印があるかどうかは水没しているため未確認ですが、規則性をもって置かれたと仮定すると、根石から7石ごとに刻印を刻み、天端石のみが明治以降の改修でA地点に移動したと推測されることになります。
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星形は「セーマン」あるいは「清明印」として知られ、陰陽道における祈祷呪符として悪霊を封じ込める意味として使われるようです。
Bの位置は、本丸内の藩主御殿中央からみてちょうど南西方向(未申(裏鬼門の方向))にあたります。初代富山藩主前田利次は、この星形を本丸の南西隅に配置し、「裏鬼門を守る」という特別な役目を持たせたと考えられます。
一方、鬼門である北東方向は、搦手石垣の北東角にあたりますが、ここは何度も石垣が崩れ、幕末にはとうとう崩れたまま放置されました。
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(古川) |