江戸富山藩邸の暮らし・行事
出土した茶道具
 
写真の陶磁器は、医学部附属病院看護師宿舎地点の調査で出土した茶道具と考えられる資料です。調査地点は、幕末に描かれた富山藩邸の絵図と比較すると、藩邸内御殿空間の北東部にあたります。調査の結果、3枚の生活面が確認されました。
写真1茶道具1
写真1 茶道具1
写真2茶道具2
写真2 茶道具2
これらの遺物は、最下面で発見された土採り穴と考えられる遺構に焼土とともに捨てられていました。この焼土層より下の土層から1660から1670年代に生産された肥前磁器(伊万里焼)が出土していることから(写真1から7)、天和2(1682)年に藩邸が全焼した火災(いわゆる八百屋お七の火事)によって廃棄された一群と考えられます。いずれも釉は溶け落ち、なかには原形が判らないほど変形している製品もあり、火災の(すさ)まじさを窺い知ることができます。写真1の1は中国福建省建窯(けんよう)で作られた天目茶碗で13世紀の製品です。2から4は16世紀の朝鮮半島で作られた茶碗です。写真2の8は天目台、9は耳花生(みみはないけ)、10は硯屏(けんびょう)(文房具)、11は算木文花生(さんぎもんはないけ)、12は袴腰香炉(はかまごしこうろ)で、いずれも中国浙江省龍泉窯(せっこうしょうりゅうせんよう)の青磁製品で14世紀から15世紀に作られたものです。13は14世紀のベトナム産灰釉連弁文水指(かいゆうれんべんもんみずさし)、14は17世紀のドイツ産水注です。写真1の瀬戸・美濃産鉄釉天目(5)、黄瀬戸沓茶碗(6)など国産品も含まれていますが、輸入陶磁がまとまって出土していることが特徴です。12の伝世品は京都国立博物館や徳川美術館所蔵品に観られます。このように室町期にはすでに評価が定まっていた中国・南宋から元代の製品と、16・17世紀の朝鮮、東南アジア、ヨーロッパ、そして国産の製品を取り入れているところに、近世大名の茶の湯に対する意識が認められる資料でもあります。
 
これら唐物と称される輸入陶磁の評価は高く、室町時代後期には威信材としてその価値が築かれました。大名にとって最大級のステータスといえるものです。茶の湯は江戸時代に入ると大名の(たしな)みとして隆盛し、唐物もその道具として多くの茶会記を始め、将軍御成(おなり)などの交際諸行事の茶事において使われていました。
 
富山藩関連の文献史料には、初代藩主利次が父である加賀藩3代藩主利常から秘蔵の道具類を譲り受けたが、天和2年の大火によって全て焼失したという記録があります。この資料が、その「秘蔵の道具類」にあたる可能性も考えられます。
(成瀬)