『富山市考古資料館紀要』第13号 平成5年9月30日発行

小竹貝塚出土の遺物について

山内賢一・林寺厳州
小林高範・古川知明
(富山考古学会会員)

1.はじめに
小竹貝塚は、富山市呉羽町北および高木地区に所在する縄文時代前期を主体とする貝塚遺跡である。遺跡の東約750mにはほぼ同時期の蜆ヶ森貝塚がある(第1図)。

貝塚の所在は昭和20年代頃から知られており、過去8回にわたる試掘調査・発掘調査や、貝塚の中央を貫通する新鍛冶川承水路での採集活動、また、花粉分析等の自然科学的分析によって、現在まで遺跡の概要がかなり明らかにされている。

貝塚は、貝層と遺物包含層からなる。貝層の範囲は東西50m南北90mで、西に張り出す弧状を呈することがボーリング調査で明らかにされている。遺物包含層は貝層を中央に囲むように広がり、東西約150m南北約200mにわたる。その中央は高台で無遺物層であるとされた(第2図)。

貝層から出土した貝類は、淡水産のシジミ類・タニシ類がほとんどを占め、わずかに鹹水産具が混じる。26種以上が確認されている。

また貝層中からは13種の魚類、4種の鳥類、6種の哺乳類のほか、人骨も出土している。なかでも1体は、頭が欠失しているが、屈葬された成人男子で、縄文時代前後に属するものである。

貝層からは、縄文時代前期中葉から末葉までの土器・各種石器類・各種骨角器類が出土している。また、遺物包含層からは、貝層と同年代の遺物のほか、縄文時代草創期頃の石鏃や尖頭器、古墳時代から近世の土器・陶磁器類が出土しており、長期にわたる遺跡の形成が認められる。
 


2.遺物採集に至った経緯
1991年1月上旬より3月末まで小竹貝塚の東側に位置する用水路の改修工事が富山市土地改良課によって行われた。

1月9日、付近を通った山内賢一、林寺厳州が排土中に土器や貝、骨片が混じっているのを発見し、市教育委員会に通報した。

市教育委員会で現地を確認したところ、既設の用水路を撤去して、幅の広い用水路を新たに設置するため掘削機械が稼動していた。この工事は、本来は既設の用水路から下に下がらないものであったが、用水路撤去のために部分的に掘りすぎが生じ、貝層にかかったものと判断された。

その後、改修工事に市教育委員会が立ち合うとともに、貝や自然遺物を含む排土の採集を行ったものである。

今回紹介する資料は貝層部分を中心とした採集品で、これは採集した排土のすべてについてふるいを使用して水洗選別行い得たものである。この水洗選別作業は、山内・林寺が約1か月をかけて行い、分類作業は主として山内が約2か月をかけて丹念に行った。

選別の結果、縄文土器・各種石器・骨角器・各種動植物遺存体が得られた。

なお、このうちシジミ貝・タニシを除く動物遺存体については、邑本順亮氏の紹介によりいわき短期大学の山崎京美先生に鑑定を依頼し、その結果を本書に掲載さでていただくこととしたものである。
 


3.採集遺物の概要
採集品には、縄文土器、石器、骨角器、貝類をはじめとする自然遺物、須恵器、珠洲焼がある。

1.縄文土器(第3図から第5図)
前期の土器 1から9類に分類できる。

1類
(1から4)
コンパス文があるもので、横位の沈線との組合せがみられる。
2類
(5から9)
粘土紐の貼付けのあるもの。5から8は羽状縄文上にやや太めの紐を貼付けてあり、9は無文の上に細い粘土紐を貼付けている。
3類
(10から12)
半截竹管状工具による刺突がみられるもの。10と11は沈線内に刺突を施す。
4類(13) 粗い爪形文が連続して施される。北白川下層Ub式に関連性が求められる。
5類
(14、15)
結節浮線文があるもの。14、15ともに地文は無文で、やや薄手である。
6類(16) 鋸歯状印刻文のある口縁部片で、波頂部の間に小突起が付けられている。
7類
(17から24、26)
羽状縄文が施されるもの。24と26は羽状縄文を施した後、列点や沈線などを加えている。
8類
(27から36)
斜縄文が施されるもの。口縁部30は上端に刻みが入り、32は平行沈線が加わる。
9類
(25、37、38)
撚糸文がみられるもの。25は単軸絡条体により網目状撚糸文が施されてる。

中期、後期の土器(39から44) 貝塚のごく付近で採集したものを挙げておく。39は渦巻文のある深鉢、40は貝殻腹縁文のある深鉢である。41は粘土紐貼付けの後に刻みを加えている。44は口縁部で三角形の連続刺突文がみられる。39から43は中期中葉段階、44は後期の気屋式に比定される。


2.石器(第6図、第1表)

石鏃 1は凹基無茎鏃で、脚部が欠損している。両面とも丁寧な調整剥離で、断面は菱形を呈する。2は石鏃の先端部の欠損品である。かなり幅広でもとは正三角に近い大型のものと推定される。
石錐 3はつまみのあるT字形の石錐である。丁寧な調整剥離を行い、断面は菱形を呈する。
異形石器 4は調整剥離により三方に抉りを入れた異形石器である。片面には平坦面を残しており、断面は台形状を呈する。
スクレイパー 5は大型のもので、打面除去後、エンドスクレイパー状刃部を作出している。
磨製石斧 6は小型磨製石斧で刃部を欠損している。7は磨製石斧の刃部片であり、使用痕が観察される。
石錘 3点出土している。8は大型礫石錘の欠損品である。9、10は小型の完形品で、どちらも扁平な安山岩礫を素材としている。他に砥石、石皿の破片や焼けた礫などがある。


 
3.骨角器類(第7図)

刺突具 1は欠損しているが、平たい素材の先端を尖らせており、ヤス状の刺突具と思われる。
骨針 2は両端を細長く尖らせた棒状の骨針で、基部には両面から孔があけられている。上部に微細な線状痕がみられる。3はクロダイ属の臀鰭第一担鰭棘を素材としており、通常の骨針とは形態が異なる。全面的に磨滅が著しく、先端付近に微細な線状痕が観察される。
垂飾品 4は焼けた鹿角を素材とした垂飾品である。突起のついた指輪のような形を呈しており、よく磨かれている。5は犬歯(イヌ?)に孔をあけた勾玉状垂飾品である。両面から棒状工具によって穿孔されており、内側には線状痕が観察される。6は垂飾品の一種あるいは素材と推定される。雄イノシシの上顎犬歯を薄く分割しており、断面は台形状で、エナメル質部分が一部残っている。
他にスパイラル状に割れた骨片が数点ある。
 
4.その他の遺物(第5図45から48)
須恵器の甕胴部片(45から47)、珠洲焼の甕胴部片(48)などが貝層より上の土層に混じって採集された。
 


4.小結
縄文前期の土器については、1類が朝日C式、2類が蜆ヶ森式(T、U式)、5類と6類が福浦上層式に比定されるものであり、従来の調査や採集で知られている年代・種類等を裏付けるものとなった。
しかし何よりも山内・林寺がおこなった丹念な水洗選別作業により、総数3,882点にものぼる動物遺存体を抽出したことは、現在まで行われた調査のなかでもっとも細かく、かつ精緻な作業であった。その成果が山崎京美氏によって日の目を見たことは意義深いことである。
 
図1から図7、表1 (PDFファイル:468KB)