向野池むかいのいけ遺跡

2 古代婦負郡の生産拠点
(富山地域)
2006年の調査では、平安時代の掘立柱建物8棟、井戸1基、鍛冶炉1基、製炭土坑21基、弥生時代の竪穴住居2棟、縄文時代の竪穴住居1棟、土坑などを確認しました。
 
 
集落の建物配置
調査区東よりには掘立柱建物が集中しています。建物は3回建て替えられていますが、軸方向はほぼ同一であり、これらは計画的に配置されたと考えられます。
このうち1棟は、北・南・東の3面に廂をもつのが特徴です。東西6間(廂を含めて約15m)、南北2間(廂を含めて約9m)で、建物面積は約136平方メートル(約82畳)ある大型建物です。柱穴からは、底部に「三」と記された須恵器の墨書土器が出土しました。
3面に廂をもつ大型掘立柱建物
3面に廂をもつ大型掘立柱建物
(柱穴が整然と並んでいます)
この建物の南側には4間×2間の掘立柱建物が同時期に並んでいました。建物内からは、鍛冶炉が検出されました。
 
周囲の柱穴からは、多量の鉄滓、ふいごの羽口、鍛造剥片が出土しています。掘立柱建物群の周辺に所在する製炭土坑からは、炭化物が出土しました。炭化物を年代測定したところ、掘立柱建物群の構築年代の前後にも作られていたことがわかりました。長期にわたって炭焼きが行われていたと推定されます。日常生活用としてだけでなく、土師器などの焼成や鍛冶を行うための燃料としても使える炭が必要とされていたのでしょう。
 
 
「婦負郡大型建物は郡雑器所」か?
律令体制下では、郡の役所に「郡雑器所」と呼ばれる、土師器などの容器類を生産する施設が存在したと推定されています(下野国府出土木簡には 『都可郷進一荷□ 検領(藤)所返抄 郡雑器所 申送』と記されています)。
 
本遺跡もそのような役割を担っていた可能性があります。今回確認した廂付きの大型建物は、本遺跡周辺に集中する古代生産遺跡群での生産を統括するための管理施設という性格が想定されます。
 
県内の遺跡では、廂をもつ大型掘立柱建物は郡家ぐうけ(郡におかれた役所)・荘園など公的な遺跡で確認されています。当時、向野池遺跡周辺は婦負郡に属すると考えられることから、婦負郡との関わりが深い遺跡と推定されます。
 
 
関連項目
  向野池遺跡 1 平安時代仏教の普及を示す瓦塔製作工房