向野池むかいのいけ遺跡

1 平安時代仏教の普及を示す瓦塔製作工房
(富山地域)
向野池遺跡は、呉羽丘陵の北西側に立地する旧石器・弥生・平安時代の集落・生産遺跡です。遺跡の主体となるのは平安時代(約1100年から1000年前)です。これまでの調査で、平安時代の土師器焼成坑4基、井戸3基、大型建物を含む掘立柱建物15棟以上、製炭土坑などが見つかりました。甕や鍋などの日常容器とともに、仏具(瓦塔)も製作していたことがわかりました。
2000年の調査では、土師器焼成坑4基、井戸2基、掘立柱建物4棟以上などを確認しました。
 
 
瓦塔とは
寺院の木造塔(五重塔など)を模倣して、部分ごとに焼いて組み合わせた、高さ1mから2mほどの塔であり、仏教的色彩の強い遺物です。
奈良時代から平安時代に多く作られ、寺院、官衙、集落、窯、あるいは単独で出土しています。集落では、小さな祀堂などに納められたと推定されます。
瓦塔の出土状況1
 
 
瓦塔の出土状況
1つの井戸から、主に底の部分でまとまって出土しました。出土したのは、屋蓋部(屋根)の破片と軸部の一部です。
屋蓋部は一辺約20cmの小さめのもので、軸部は半分以上残っており、最下段のものです。隅丸方形で、出入口を模した透かしが施され、基壇の部分は円形になっています。
瓦塔の出土状況2
一緒に出土した土器や屋蓋部の形態などから、瓦塔は9世紀前半頃のものと考えられます。周辺では、富山市明神遺跡(9世紀初頭頃の須恵器窯)、富山市長岡杉林遺跡(10世紀前半頃の集落)からも出土しています。
 
 
瓦塔の意義
井戸だけでなく、土師器焼成坑からも屋蓋部の破片が出土したことから、他の土器と一緒にこの焼成坑で焼かれたと考えられます。瓦塔は、須恵器窯から出土する例はありますが、土師器焼成坑から出土する例は稀で、瓦塔も焼成していた土師器焼成坑が確認されたことは重要な成果です。
軸部周辺からは、屋蓋部の破片や完全な形に近い土器が多く出土しており、底部に穴をあけた小型の甕やヘラ記号「*」を施した土器もあります。これらは意図的に一括投棄されたもので、井戸の廃絶に伴う祭祀行為と考えられます。
この瓦塔は、基壇が円形である点が特徴です。現在のところ、基壇が円形の瓦塔の出土例は全国的にも珍しいものです。
 
 
関連項目
  向野池遺跡 2 古代婦負郡の生産拠点
 
 
関連書籍(表紙をクリックすると全国遺跡報告総覧のホームページが開きます)
境野新遺跡・向野池遺跡   富山市向野池遺跡1   富山市向野池遺跡発掘調査報告書
富山市教育委員会 2000
『境野新遺跡・向野池遺跡』
  富山市教育委員会 2000
『富山市向野池遺跡1』
  富山市教育委員会 2001
『富山市向野池遺跡発掘調査報告書』
     
富山市向野池発掘調査報告書   富山市向野池遺跡発掘調査報告書  
富山市教育委員会 2002
『富山市向野池発掘調査報告書』
  富山市教育委員会 2006
『富山市向野池遺跡発掘調査報告書』