【富山売薬関連年表】 (展示中の年表を改訂したものです)
西暦 和暦 売薬に関する事項

1640

寛永17

富山藩が加賀藩より分藩する。

(1681)

天和頃

万代常閑が富山へ反魂丹の薬方を伝授か。

1690 元禄3 富山2代藩主前田正甫が江戸城中で某大名の腹痛を快癒させたという。

元禄頃

この頃、松井屋源右衛門が売薬行商を開始したという。 

1711

正徳元

この年以前「富山修験之他国売薬」があったという。
この頃、富山売薬が本格的にはじまる。

1740

元文5

富山藩が反魂丹商売人を調査し、売薬業支配にのりだす。

(1764)

明和頃

この頃、売薬行商の組が成立する(18組)。

(1772)

安永頃

この頃、算学者中田高寛により下枡(扇形丸薬製造器)が考案されたという。

1807

文化4

この頃までに売薬行商の組が20組に増加する。

1816

文化13

富山藩に反魂丹役所が設置され、売薬を保護、統制する中核的機関となる。

1844

弘化1

この年富山藩領売薬行商人(帳主)は21組2,188人を数える。

1848

嘉永1

富山10代藩主前田利保が『本草通串』を著し、併せて『本草通串証図』を作らせる。

1853

嘉永6

富山藩領売薬行商人(帳主)は22組2,258人、藩への上納金約3,200両に達する。

1870

明治3

売薬取締規則が制定される。また、売薬の取締は大学東校の所管となる。

1873

明治6

売薬取締は文部省医務局へ移管される。富山売薬業者が舎密学校設立を請願する。

1874

明治7

医制公布され、医薬分業が定められる。

1875

明治8

売薬取締は内務省衛生局へ移管される。
新川県が売薬取締会社設立綱領並条例を定め、売薬結社を進める。

1876

明治9

広貫堂が設立される。

1877

明治10

売薬規則による売薬税が制定され、売薬営業者(製薬)、販売請売者(販売)、行商人の3つに区分され、それぞれ免許鑑札取得、税金・鑑札料の上納を義務づけた。

1878

明治11

売薬行商人が発起人の中心となり、第百二十三銀行(北陸銀行の前身)が設立される。

1882

明治15

売薬印紙税規則が布告、売薬業者減少(明治16年1月1日施行)。

1886

明治19

売薬印紙交換規則が制定され、未使用の売薬印紙は交換できるようになる。
藤井論三がハワイに売薬を輸出し、富山売薬の海外進出が始まる。
売薬版画の絵師 松浦守美没。この頃、石版印刷が導入される。

1888

明治21

富山県売薬営業組合が設立される。

 

明治22

土田真雄が朝鮮半島で売薬配置を開始。

1894

明治27

富山の売薬業者により共立富山薬学校が設立される。

1895

明治28

中国、台湾などで配置売薬を開始。

1896

明治29

北陸商業銀行設立。この頃、売薬業者の発起で、県下に数種の銀行が設けられた。同じ頃から富山電灯(現在の北陸電力)が設置されたほか、富山県下の繊維、運輸、保険、出版、印刷などの会社設立に売薬業者が大きく貢献。

1898

明治31

共立富山薬学校が富山市立薬学校となる。

1901

明治34

富山売薬同業組合の設立が認可される。

1902

明治35

富山売薬信用組合(富山信用金庫の前身)が設立され、懸場帳担保による資金融資が可能となった。

1905

明治38

売薬税法が公布される。

1907

明治40

富山市立薬業学校が富山県立薬業学校となる。

1908

明治41

富山県下の売薬業者が団結し富山県薬業同業組合の設立が認可される。

1910

明治43

売薬税法が改正される。富山県立薬業学校が富山県立薬学専門学校となる。

1914

大正3

売薬法が公布され、資格制度や広告制限、方剤の統一が定められる。

1920

大正9

富山県立薬学専門学校が官立富山薬学専門学校に移管される。

1923

大正12

売薬税法が改正され、大正13年1月1日より施行される。

1926

大正15

売薬税法が廃止される(売薬印紙税廃止)。
この頃からメキシコ・ブラジルへの売薬海外進出計画が起こる。

1927

昭和2

富山市立富山薬学校(県立富山北部高等学校薬業科の前身)が設置される。

1932

昭和7

富山県売薬同業組合設置の薬業試験場が県に移管され、富山県売薬試験場となる。
富山県売薬行商人最寄会連合会が発会する。この頃満州国への売薬進出が始まる。

1934

昭和9

この頃売薬業者が国民健康保険法に反対の運動を展開する。

1938

昭和13

政府が国家総動員法で医薬品の配給や生産の統制を断行。進物の廃止、金箔・木綿の使用も規制される。

1943

昭和18

薬事法が成立し薬品営業取扱や売薬に関する規則が一元化。一戸一袋制が提案される。

1946

昭和21

厚生省の通知により、売薬を家庭薬、売薬製造を医薬品製造、売薬請売を医薬品販売と名称変更する。
富山県衛生部に薬務課が設置される。農協向けに家庭薬の配給が始まる(農協配置)。

1947

昭和22

全国配置家庭薬協議会(全配協)が設立される。
富山県家庭薬配置商業協同組合、製薬業者により富山県薬業会が設立される。

1948

昭和23

薬事法が改正され、配置販売は都道府県の許可と身分証明書の交付が義務付けられる。
ハワイやタイなどに海外貿易が再興される。
富山北部高校、滑川高校に薬業科が設けられる。

1949

昭和24

富山大学が設置され、富山薬学専門学校も組み込まれ富山大学薬学部となる。

1951

昭和26

出先県ごとに配置家庭薬協議会が設立されるようになる。

1952

昭和27

社団法人富山県薬業連合会が結成される。富山県薬事研究所が設置される。

1960

昭和35

薬事法が改正される。配置販売業の従事届の提出、身分証明書交付と携行、配置員の指導監督、配置販売品目の制限などが盛り込まれる。さらに翌36年の同法施行令では、配置販売業者の資格が規定され、法的保護を受けることとなる。

1963

昭和38

富山大学大学院に薬学研究科が設置される。
配置販売業の改善発達や事業推進を目的に富山県配置家庭薬商業組合設立。
富山県薬業講習所(現 薬業研修センター)が設置される。

1966

昭和41

富山市に薬業課が設置される(昭和23年に衛生課薬務係として発足)。

1970

昭和45

富山県に薬業振興課が設置される。

1974

昭和49

富山大学薬学部和漢薬研究施設が和漢薬研究所に昇格する。

1975

昭和50

富山医科薬科大学が発足。翌年、富山大学薬学部が移管される。

1976

昭和51

GMP(医薬品の製造及び品質管理に関する基準)が実施され、医薬品の有効・安全性が説かれ、全製薬工程に組織的な製造管理と生産計画の実施が図られる。

1977

昭和52

全国配置家庭薬工業組合(全工連)が設立される。

1982

昭和57

日本配置家庭薬商業組合(日配商)が設立される。

1984

昭和59

富山市売薬資料館が開館する。

1996

平成8

GMP(医薬品の製造及び品質管理に関する基準)に関して、バリデーション(医薬品を製造する工程や機器についての、科学的な検証・確認・文書による記録・責任者の承認、という一連の流れ)が実施される。