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本丸北西部で行った調査です。16世紀後半から17世紀の下層面(写真1)と明治時代の上層面の2層の遺構を検出しました。
16 世紀後半は、薄い盛土を何層にも行う整地層を検出しました(写真2)。中世富山城期の通路面や土塁の基礎盛土等の可能性があります。
16 世紀末から17世紀前半の土坑からは焼塩壺の身・蓋合わせて10 点が出土しました(写真3)。焼塩壺は粗塩を入れて焼き、塩を精製するための土器です。富山城・城下町ではこれまで19点出土していますが、うち11点が本丸で見つかっています。階層の高い人物がいる場所で見つかることが多く、一種の「贅沢品」とみられます。 |
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写真1 調査区の全景(下層面) |
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上層面は、明治時代の石組溝と廃棄土坑があります。石組溝は排水路で、本丸から内堀へ水を流していたと考えられます。
廃棄土坑からは、焼けた土とともに瓦・釘・土壁等が出土しました(写真4)。明治32年に焼失した土蔵等に使われていたと考えられます。この時期の建物の構造を知るうえで貴重な遺物です。 (野垣) |
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写真2 整地層の断面 |
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写真3 出土した焼塩壺 |
写真4 廃棄土坑出土遺物 |
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