本丸の発掘
石垣内部出土の軟玉なんぎょく
(2007年度調査)

2007年の富山城石垣修理に伴う発掘調査で、石垣の内部にある土塁部分の土砂の中から、奇妙な石が出土しました。緑色の平たく、丸い石で、大きさは500円玉よりやや大きく、3.5cmほどの石です。
 
野尻湖ナウマンゾウ博物館(当時)の中村由克氏によれば、軟玉と呼ばれるネフライトという石で、ヒスイや蛇紋岩じゃもんがんと同じ糸魚川・青海など数か所に産出します。石は海岸に特有の平たく表面がつべつべした漂石ひょうせきという形状で、ヒスイや蛇紋岩が採取できる、糸魚川から宮崎海岸にかけての地域から持ってこられたものではないかということです。
石が出土した石垣は、前田利長が江戸初期の慶長10年に築造したものを、富山藩の初期(1661年頃)に改修して直した石垣です。改修するために必要な土砂は、大半が城から一番近い神通川の土砂を使ったと考えられます。
しかし、このような漂石は、城付近の神通川には存在しません。近年の調査により、ヒスイやネフライトは、45km離れた宮崎海岸(朝日町)より近い、魚津の経田きょうでん漁港付近まで海岸で採取できることが判明しました。富山城からの距離は約30kmです。
 
一方、神通川上流域には飛騨産ヒスイ(藤田富士夫1998『縄文再発見』)の産出地があります。神通川(飛騨市では宮川と呼ぶ)の右岸側、旧丹生川村に産出するもので、この付近は糸魚川産ヒスイの産出地周辺と同じ地質構造です。そうすると、神通川にもネフライトが流れ出す可能性が出てきます。それが神通川河口まで流され、四方付近の海岸で採取される可能性もあります。しかしながら、神通川の河口先端は深い神通海底谷へとつながっており、土砂のほとんどはそこへ落ち込んでいくものが多く、現在でも砂利の浜は存在しません。
 
したがって現在のところ、このネフライトは、黒部川以東の海岸部において採取され富山城へ運ばれたと考えておくのがいいようです。
(古川)
富山城石垣内部から出土した軟玉(ネフライト)
富山城石垣内部から出土した軟玉(ネフライト)