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富山市磯部町1丁目に富山護国神社があります。この境内北側には相撲場があり、その西には駐車場が続いています。その境に並べられた石列の中ほどに、矢穴のある石が2石並んであります。 |
南側の一つは、縦横67cmの台形状の石で、1側縁に矢穴が2個あります。矢穴の大きさは、2個ともに、横3寸・底の長さ1.5寸・深さ2寸です。 北側のもう一つは、縦75cm横55cmの長方形で、やや丸くなった一辺に矢穴が3個あります。矢穴の大きさは、1個は南側のものと同じ、もう1個はやや小さく、横2.5寸・底の長さ1寸・深さ2寸です。 |

矢穴のある石材 |
いずれの石材も砂岩で、中粒のものです。石列の他の石は、氷見高岡海岸部産の粗粒砂岩(石灰質砂岩、「太田石」と呼ぶもの)で、縞状構造がよくわかる石ですが、矢穴のある2石はこれらとは異なり、縞状構造は見られず、均質です。
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岩石帯磁率の測定結果から、この砂岩は「太田石」と同定されます。
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この石材は、慶長期富山城の築城時に、石垣石材として多く調達されました。 |
また、この神社地は、富山藩6代藩主前田利幹代に、隠居所も兼ねた「磯部庭園」が築造された場所です。明治末年ころまで、富士山を模した高い築山が残っていました。この庭園の築造の際に、富山城の石垣石材が転用されたか、あるいは新たに高岡氷見海岸部から調達されたものと考えられます。
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今回見つかった石材の矢穴は、富山城や高岡城の石垣石材で見つかった矢穴大きさより一回り小さいため、江戸初期のものではなく、江戸後期から幕末のものと考えられます。
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したがって、現段階では、磯部庭園の石垣等の築造のため持ち込まれた石材と推定しておきたいと思います。
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この矢穴石は、高岡市教育委員会田上和彦さんが発見され、当センターに連絡されたものです。 |
(古川) |