標高130mの羽根丘陵の尾根上に立地し、東側には富山平野が広がります。

県内最古の大型前方後方墳で、3世紀末の築造と考えられます。

規模は全長66mで、前方部は長さ31m、幅24m、高さ3.5m、後方部は長さ35m、幅37m、高さ9m、くびれ部幅10mです。前方後方墳としては、氷見市柳田布尾山(やないだぬのおやま)古墳(全長107.5m)に次いで県内2番目の大きさを誇ります。

小さな前方部がくびれ部から先端にかけて傾斜して高まり、前方部と後方部の比高差が約8.8mと大きいなど、前期古墳の特徴がみられます。
また、墳丘西側には浅い周溝を巡らせ、平野側は削り出して墳丘を整形しています。

後方部中央には長さ6.2m以上、幅6.1mの長方形の墓坑が検出されました。また、地表面から約2m下層には、木棺を覆っていると推測される粘土槨(ねんどかく)の痕跡が確認されています
勅使塚古墳
 
(財)富山県文化振興財団
埋蔵文化財調査事務所2003より
墳頂部や周溝からは土師器の壺・高杯(たかつき)器台(きだい)(ふた)が出土しました。これらは祭祀(さいし)に使用されたもので、赤彩(せきさい)品が多くあります。(全体の約25パーセント)。この時期には珍しく在地系土器が主体を占め、外来系土器は畿内系の壺がごく少量みられるのみです。

谷を挟んで400m北方にある王塚古墳とともに、婦負地域を統治した首長の墓と推測されます。