富崎墳墓群
標高約70mの富崎丘陵北東縁辺部に立地し、北側の谷には山田川が流れています。
弥生時代後期から終末期に築かれた四隅突出型墳丘墓よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ3基で構成されています。これらは山陰系の墳墓の形態であることから、当時の日本海沿岸交流を物語る証拠として注目されます。

墳墓には、中型の1・2号墓と大型の3号墓の2つの規模があります。中型と大型の墳墓は、小さな谷を挟んで150m離れて立地しています。

基盤集落としては、170m東の平野にある富崎遺跡や、同じ丘陵上の580m南西にある高地性集落の富崎赤坂とみさきあかさか遺跡・離山砦はなれやまとりで遺跡が考えられます。

 
1・2号墳
1号墓は一辺21.7m、高さ3mで、突出部とっしゅつぶは長さ6m、幅9mです。2号墓は、損壊により正確な規模は分かりませんが、1号墓とほぼ同規模と推測されます。

墳墓はどちらも墳丘の周囲に溝(周溝しゅうこう)がめぐらされ、突出部は楕円形に膨らむ特徴があります。
遺物には、2号墓の周溝から出土した器台きだいのほか、富山県畜産試験場・丘の夢牧場造成工事の際に1・2号墓周辺で採集された小型台付装飾壺2点があります。
小型台付装飾壺
工事中に採集された小型台付装飾壺
 
3号墓
3号墓は一辺22m、高さ3.9mと大型で、突出部は長さ4m以上、幅12mです。

墳丘は、周囲の地山を広く削り出した後、側面のみに周溝をめぐらせて区画しています。
遺物には、周溝から壺、高杯たかつき、器台、ふたかめが出土したほか、墳墓の近辺にあった土坑から壺4個体(うち3個体が完形品)や甕の一部が出土しました。

3号墓から出土した土器は、試掘調査だけで遺物収納ケース24箱分におよび、越中の弥生墳墓では傑出した量です。

台付装飾壺
逆C字状の彩文さいもんを6ヶ所に加え、突帯とったいの4方向に切り込みを入れた台付装飾壺
  
墳墓近辺の土坑から出土した土器   壺の口縁部
墳墓近辺の土坑から出土した土器   円形の浮文ふもんを5ヶ所(正面には4つ組、他は2つ組)に
貼り付けた壺の口縁部