標高35mから52mの独立した台地に立地し、東には婦負(ねい)平野を眺望できます。南から東には山田川とその支流である辺呂(べろ)川が流れます。

旧石器から中世にいたるまでの複合遺跡で、そのうち台地北側にある弥生時代終末期の集落跡が史跡に指定されました。

竪穴住居はこれまでのところ25棟見つかっており、円形の大型住居(直径9.5mから11.5m)と(長)方形の中型住居(一辺6mから9m)、(長)方形の小型住居(一辺4mから7m)があります。

住居からは当時使用された弥生土器の甕や壺、高杯(たかつき)器台(きだい)、蓋、鉢などが出土しました。
千坊山遺跡竪穴住居跡

西方・北方の丘陵には、六治古(ろくじこ)塚墳墓(四隅突出型墳丘墓)や向野(むかいの)塚墳墓(前方後方形墳丘墓)、添ノ山古墳(消失)といった墳墓があります。

これらの墳墓には、千坊山遺跡の集落に暮らした、この地域の首長が葬られたと考えられます。
  千坊山遺跡出土品